<旭川→稚内>宗谷本線普通列車の旅。※8時間半
↓前回記事
留萌を訪れた後は旭川に戻り一泊した。
旭川から稚内へ至る鉄道旅。昨年末に訪れた時は大雪で道北と道東の鉄道は完全に麻痺していて、留萌本線どころか宗谷本線も諦めるしかなかったのだが、今回は初夏の旅。梅雨明けの旅を満喫しよう。
宗谷本線で旭川から稚内へ旅する。しかし私は丁寧な旅の実践者。旅は鈍行と決まっている。旅に速さも快適さも求めていない。あの頃の、時間がゆっくりと過ぎていく鉄道旅を求めているのだ。
「稚内までの切符ください。」
「何時の特急で行きますか?」
「いや、普通列車で行くんで」
「えっ?ふ、普通で?」
6000円の片道切符を入手して、旅が始まった。
午前11:00 旭川駅
旭川護国神社の辺りを散策して、路線バスに乗って旭川駅に到着。
まもなく新型のH100形が入線した。時刻表と別に編成表を調べておいたので国鉄型が来ないことはわかっていたが、やはり鋼鉄でやかましく座席の固いキハ40が恋しい。
バリアフリーを意識しているのか、トイレは国鉄型の倍近い広さがあるではないか。車椅子の乗客に配慮した設計になっている。新型だけあって車内も綺麗だ。
旭川駅を主発すると高架を走り抜けて北上を始める。旭川を抜けたら永遠と一面の緑が続く。冬景色もいいが、夏の北海道も旅の風情がある。
快速なよろは8駅の停車で1時間10分ほどで名寄駅へ結んでいる。車社会と思いきや他にも数名の乗客がいたので多少の需要はあるのかもしれない。
かつては廃止された名寄本線と深名線が接続し、駅構内に扇形機関庫や転車台を持つ名寄機関区があり、近隣の工場への専用線も伸びる巨大駅だった名寄駅。数多の機関車に貨車が並ぶ巨大駅だった面影はなく、今や宗谷本線の途中駅でしかない。
次の列車の出発までに2時間ほど時間を持て余したので、駅前の食堂で昼飯を済ませた後は街中を散策してみた。かつての名寄駅の周りには工場なども多かったようだが、今や普通の住宅地という印象。
名寄駅の近く、廃止された名寄本線の旧軌道上にキマロキ編成が保存されているということは昔から知っていて、丁度乗り換え時間もあるので見学しに行った。
「キマロキ」は東北や北海道などの豪雪地帯の鉄道で見られた除雪に特化した編成で、
・牽引機関車の「キ」
・雪壁を壊して線路上に雪をかき集めるマックレー車の「マ」
・その雪を遠方に投げ飛ばすロータリー車の「ロ」
・最後尾から後押しする機関車の「キ」
を意味している。
キマロキの見学は割と面白かったので、後日、まとめて記事を書いた。
「編成ごと保存する」というのは本土ではあまり見られないし、広大な北海道ならではだ。実際に見てみると迫力がある。この列車が豪雪の北国を駆け抜ける姿を実際に見てみたかったものだ。
「赤字ローカル線は列車本数が少なすぎ」「乗り換えの待ち時間が長すぎて不便」「車の方が楽」という声をネット上で沢山見かけるが
その通りです。
不便この上ない。だがまあ、私は「旅行」ではなく「旅」が好きで、旅行は目的地を楽しむ一方で旅は目的地を楽しむだけではなく、目的地に至る過程を楽しむものであるとも思っている。鈍行列車で良いのだ。昭和の残り香がする待合室で列車を待つ時間が私は好きだ。
入線時刻が近づいたので改札で駅員さんに切符を見せる(自動改札なんてものはない)のだが、「稚内...各駅ですけどいいんですか??」と聞かれ、「はい」と答えたら怪訝な顔をされてしまった。当然である。
特急なら名寄から稚内へ3時間で行ける。
普通列車で行くので名寄から稚内へ5時間かかるが、のんびり過ごしていればいい程度に考えていたのだが、とても大切なことを忘れていた。
非 冷 房 車 。
名寄駅で乗車したのは自分の他に1人だけ。
名寄を出発してから1時間ほどで音威子府に到着するのだが、乗り換えをする訳でもなく、同じ列車で稚内駅に向かうのに当駅で1時間ほど停車する。
昔は駅舎に名物の音威子府蕎麦を食べられる店があったが店主が高齢で亡くなったことで2021年に閉店。今年の秋には音威子府蕎麦自体の生産が打ち切られてしまった。
要するに時間を潰せるものが何もない。
運転士の休憩の為の停車時間なのかもしれないが1時間は長い。16時に到着して出発は17時。やることが何もない。近くに道の駅があるものの、軽食を食べるくらいしかやることもないだろう。途中下車して駅舎や駅前を軽く散策した。
かつては天北線(1989年廃止)が当駅から猿払経由で南稚内駅へと結んでいた。
かつての音威子府駅は道北の旅客や貨物を旭川方面へ輸送する為の鉄道の要衝だったそうで、今も特急列車は全て音威子府駅で停車する。
天北線の痕跡の多くは既に自然に埋もれてしまったが、小さな資料室がかつての鉄道の姿を若い世代に伝承している。
冬期にはかなりの雪が降るのだろうが、この辺りの住民はどのようにして生計を立てているのだろうか。林業は冬の仕事がないだろうし、酪農といっても冬の通勤は大変だろう。
東京や千葉で生活している自分には全く別次元の人の営みがここにあるのだろう。
名寄や音威子府に生まれ育つということは不便かもしれないが、大自然と共に生きる権利を得るということは大きな幸せなのではないか。
この地に生まれた子供は東京で生まれ育ちたかったのだろうが、結局は隣の畑は青く見えるということだろう。
音威子府駅を発車すると車窓の様子が大きく変化する。
途中に停車する駅も大半が無人駅どころか、そもそも駅前に民家の気配がない。道路すらあるのか怪しい駅もあった。なぜ存続しているのかよくわからない駅がほとんどで、一部は村おこし等の名目で維持管理費を村や町が負担している場合もあるようだ。
「特急需要がなくなったら間違いなく廃止だな」なんて思いながら車窓を眺めていたら、列車は緊急停車。「鹿を轢いた」というアナウンスと共に安全確認の為に運転士が降りていってしまった。5分ほどで発車したと思う。
宗谷本線は単線なので当駅と反対方向から来る特急宗谷との列車交換を行う。
ホームに降りてみた。夕焼けに照らされる古びたホームと駅舎に旅の哀愁を感じた。
抜海駅は日本最北端の無人駅、木造駅。観光名所としても著名な当駅には翌日に訪れた。
抜海駅を過ぎると夕焼けに照らされた日本海が見える。この瞬間が、この宗谷本線の旅においてもっとも美しい景色だった。この区間は低速でゆっくりと走ってくださった。
外は暗くなり、車窓は暗闇で何も見えず、体力的にも疲れ果てていた。
抜海駅を出発しても稚内駅まで30分ほどかかる。
スマホの電池も残り僅か。
初代稚内駅である南稚内駅に停車し、いよいよ終着の稚内駅へ入線していく。
ATSのベルが鳴り響く中、駅員も乗客も誰も居ないホームへの入線である。
降車して寒さに驚く。夏の装い、半袖で訪れてしまい大失敗。7月の中旬でも夜は寒い。しっかりと天気予報を見ておくべきだった。。
北海道最北端の駅前に夜8時に空いてるお店がある訳もなく、夕飯を買いに近くのコンビニまで歩くことにした。近くといっても徒歩で10分少々かかる。
という訳で長い1日と相成った。
訪れたのは2022年の7月中旬。割と壮大な旅になってしまい、丁度入院しているこのタイミングで書かせて頂いた。
宗谷本線の沿線の風景や寂れた駅の一つ一つを眺めながらのんびりと静謐な旅をしたかった故に特急を使わずに旭川から稚内へと旅をしてみたのだが、まあ、長時間の鉄道旅上級者向けというところだろう。
昨年末の旭川→富良野→東鹿越(代行バス)新得→帯広の鉄道旅も朝に出発して到着時は夜で大変な思いをしたが、今回も思い出深い旅になった。
北海道の鉄道旅の課題もまざまざと見せつけられた。
名寄で乗り換えに2時間待たされ、音威子府で何の意味もなく1時間停車される。
JRの経営陣は最初から地方ローカル線における普通列車、快速列車での営業に関心がないのだろう。
ただ走らせときゃいいという気持ちが伝わってくる。
宗谷本線が後世に受け継がれることを切に願って筆を置きたい。