The Last Detail

旅と治療の記録。

日本最北端、開業当時の木造駅舎である抜海駅を訪ねて。

 

稚内に、抜海という名の駅がある。

大正時代の開業時に建てられた木造駅舎を改修しながら使用し続けている駅であり、「日本最北端の木造駅、無人駅」でもある。

 

日本海側である稚内西海岸から坂を登っていき、しばらく車を走らせると駅に至る脇道に出る。駅前には民家が一軒あり人が住んでいるようだったが、それ以外には何もない。

この抜海駅は今春に廃止報道が出ていたのだが、JR側が住民説明会を開くこともせず一方的に廃駅を通知し、「稚内市が年間100万円の維持費を負担するなら存続しても良い」などといった話も出た様だが、財政難を理由に稚内市側は廃駅に同意した。数少ない観光名所を廃止にする動きに稚内市民がブチギレ(特に抜海住民)、全国的に報道されたことで鉄道ファンだけでなく「ローカル線の存続」についての議論がネットで巻き起こり、ビビった稚内市JR北海道が廃駅を一時的に撤回した。2023年度までは存続させるようで、その後は決まっていないらしい。

バイクや車で訪れる観光客に依存する他に人を呼び寄せるものが何もない稚内市が年間100万円の維持費すらケチる財政も理解できないのだが。

 

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南稚内から車で15分前後。

利用者数はJR調査による5年平均で、一日/2名。 

現在も登下校で2、3名ほどの学生が利用しているそうで、2km先の抜海市街に住む人々がメインユーザーの駅である。

今から抜海駅を紹介していくが、こんな辺鄙(へんぴ)な駅であっても必要とする子供達がいる以上、存続させるのが公共交通機関の責任ではないか。仮にバスに転換したとして、生徒3人の為に新たにバスを走らせるのは非合理的だし、親に送迎の負担を強いるのは少子化に悩む国の政策として間違っているだろう。

 

私は鉄道趣味者である。要するに、マニアである。地方ローカル線の廃止には反対である。ただ、鉄道は必要とする人々の為にあるのであって鉄道写真家の被写体として存在しているのではない。住む人々がいなくなった暁には廃止されるべきだ。しかし、車の運転ができない子供達が必要としているのであれば、廃止には絶対反対だ。

古い駅が観光名所となる場合もあり、私だって抜海駅がなければ抜海を訪れることもなかった訳で。

 

本題に入ろう。

 

稚内から車で向かう。

抜海は海辺の丘を登った場所にある駅で、稚内から車で向かうには一度海沿いの道路へ出る のだが車中から壮大な景色が旅人を迎えてくれる。鉄道旅もおすすめだが、ドライブ旅も勿論お勧めだ。

 

誰の自転車かは知らないが、白い自転車が放置されていた。駅を利用している学生の物かもしれない。訪問したのは2022年初夏。駅前では草刈りの業者が作業をしていたので、きちんと保守作業はされているようだ。鉄道ファンは何かと鉄道会社を敵視しがちだが、予算を支出してローカル線を守ろうとしている鉄道員に感謝しよう。

 

駅に入るともう一つ扉が。雪国らしい作りだ。

こじんまりとした待合室。哀愁が漂う国鉄時代のベンチ。

 

記帳コーナーや鉄道ファンが置いていったグッズが飾られていた。

最盛期の抜海駅。

有志による観光ポスター。

改札口の跡。かつては有人駅で駅員が配置されていたので、それなりの広さがある駅となっている。

 

ホームからの駅舎を見る

2面式2線の相対ホームとなっていた。現在の1両編成の普通列車に見合わない長さのホームが、かつて発着した列車の姿を偲ばせる。

 

名寄方面

宗谷本線起点、旭川からの距離であろう。

多くの人が訪れているようで。かつて蒸気機関車が引く客車に乗って抜海駅を訪れた人が当時の思い出を書いたりしていた。

客扱いの鉄道電話は名寄に繋がるらしい。

 

 

作る前から赤字と言われていた北海道新幹線は結果的に開業後も140億円の赤字を毎年計上し、経営難を謳いローカル線を次々と廃止にし、経営努力により観光列車が次々と成功しているJR九州と対照的なJR北海道

駅は廃止、路線も廃止、新幹線は赤字、いい加減な整備で特急が炎上し社長は自殺。

この鉄道会社に未来を期待しても意味がないのかもしれないが、それでも私は北海道の鉄道が後世に残ることを切に願う。