最後の入院①年末〜
2023年1月13日午後0時
30歳の若さで兄は永眠致しました。
兄に変わり心苦しいですが妹の私がこちらのブログを書いています。
発病してから癌の治療を記録に残そうと兄はブログに書き記していて、更新したら「ブログ更新したから見てみて」とかまちょなLINEがきてました。
大事に更新していたブログでしたので、
ならば終わりも書かないとと思い今に至ります。
12月22日
兄と私と旦那と姪っ子とみんなで
こってりしたもつ鍋を食べていました。
数ヶ月ぶりに会った兄の姿はだいぶ痩せていて
「6.7キロ体重が落ちた」
「炭水化物は癌によくないから食べるのを控えてる。お米を食べるのが怖いんだよね〜」
と話していました。
私と旦那は口に出さなかったものの
痩せた姿に「????!!!!」となりました。
病院帰りで疲れてるはずなのに私が甘党ということもあり有明ガーデンでケーキのお土産を
くれました。わーい
皮膚移植の大手術を終えたこともあり
色々な話がたまっていてよく喋っていました。
ただもつ鍋は全然進んでいませんでした。
だんだんお腹を抑えるようになり、
腹痛が強くなっていたようでした。
帰路に着く頃はかなりお腹の痛みがあったようでとてもつらそうでした。
帰宅後、腹痛に耐えきれず有明癌センターに連絡。すぐ来るように言われたのに救急車は呼ぶと迷惑だからとなぜか激痛の中電車で有明へ笑
とことん人に頼れない性格が出ている…
深夜0時から検査を開始し午前2時に検査終了。
深夜0前の有明癌研究センターの一階写真。
昼間はわんさか人がいるけど夜は静かだ。
激痛の腹痛の中撮る余裕あったんかい!笑
こちらは守衛室。
ここも到着時に撮ったようだ、、
兄も私も何度この守衛室の前を通ったことだろう。最期の1週間は守衛室の人にお疲れ様ですって言ってたし顔パスだった笑
兄はその日の検査では腹痛の原因は不明で入院させられないと言われてホテルに宿泊。
この日兄の体調不良が心配で今回はやばいのも!?と緊張し私も午前4時頃思いっきり嘔吐するという悲劇。笑
めでたく便座カバーは捨てました笑
12月23日
主治医と話しその日から入院することに。
じゃあ朝方なんで帰宅させたんだよ!夜勤の人まったく何考えてるの〜!!と思いつつ入院することができたと思い一安心しました。
この時点では後腹膜線維症の疑いということでした。
痛みの波がある、痛いとしか言いようがない。
痛み止めも全然効かない、との連絡がきました。
クリスマスに入院したのは初めてかもしれない…
12月24日
クリスマスプレゼントにスタバギフト(100円笑)
を送ってくれました〜!!
クリスマスイブの日の病室からの景色。
空がとても綺麗。
病院食もクリスマスメニューになってる!
有明のメニューの中でも豪華だと思う。
推しのクリスマスコスを保存していたようだ。
12月26日
貧血の数値が良くなく輸血をした
12月27日
退院予定日でしたが貧血が悪化し退院は延期になりました。
盛岡まで各駅停車で行く旅の計画をしていたようだがあまりの腹痛に泣く泣くキャンセルをしたみたいです。
この日も大好きな麺のメニュー
12月28日
退院してタクシーで国立癌研究センターへ。
この日が治験のための説明や検査の日でした。
後々主治医から聞いた話では治験の応募の初日に兄を国立癌研究センターへ送ってくれてたみたいです。
ですがその日も腹痛が悪化して検査も受けれず……私が迎えに着いた時にはコロナ用のプレハブに隔離されて待っていて車椅子に乗っていました。
この日は一度帰宅して再度有明へ戻ることに。
この時はギリッギリ歩けてた感じだったけど
かなりキツそうで有明到着してすぐ車椅子へ。
右下腹部が内出血していてパニックだと連絡がきてステロイド治療をやることになったとさらに連絡がきました。
12月29日
この日も貧血で輸血をしたみたいです。
4人部屋の窓際に決まったそうで無事ベッド周りも片付いたのかな…。食事制限もあるのでつらそうでした。高級なご飯よりマックやサイゼが食べたいと言っていました。
12月31日
この日は朝から年越しそばが楽しみとLINEがきていましたが、まさかの年越しうどんでした笑
4人部屋は貸し切りになり、相変わらず毎年
ゆく年くる年を見てる…昔から変わらない、、
兄の最後のクリスマス、大晦日になってしまいました。でもこの時はまだ連絡が取れていて
食事も食べれてるし会話ができました。