The Last Detail

旅と治療の記録。

出雲旅その① 寝台特急サンライズ出雲

夕陽の下、小学生の少年が東京駅のホームに立っている。

放課後、友達と常磐線に乗りデジカメを持って東京駅のホームに向かう。すると夢のような列車が次々と入線してくる。それを待ち構えていた。

堂々とした重厚な機関車は轟音を唸らせながら金帯、銀帯の青い客車を牽引していた。列車はゆっくりとホームに入線する。

夜の東京駅や上野駅の特急ホームは今と全く違う景色があった。

 

東京駅には寝台特急富士、はやぶさ、あさかぜ、急行銀河、サンライズ湘南ライナーが入れ替わり入線し、上野駅の地上ホームには寝台特急カシオペア北斗星、あけぼの、急行能登が入線していた。

私が小学生の頃は夜行列車の多くは、数を減らしながらも現役だった。

客車編成の寝台特急にはカニ24という形式の電源車が連結されていた。静寂な佇まいの寝台客車とは違い、電源車の前を歩くと排熱による熱気を感じる。そしてゴォーという迫力のボイラー音。それが好きだった。排煙で汚れた車体、窓のない車体、「荷物」とかかれた、発電装置の横の積荷スペース。一両だけ紛れ込んだ異物が好きだった。

 

そして大人になった今、時刻表から寝台特急は消え去ってしまっていた。

自分が高校生の頃にほとんどの寝台列車は廃止となった。

輸送ビジネスとして、寝台特急は格安の夜行バスや航空機に勝てなかったのだ。

 

しかしながら、未だに生き残っているシブとい奴が1人だけいる。転移しても再発してもなかなか死なない俺みたいだ。気に入った。時は11月下旬。JRの予約サイトを覗くとB寝台に空きが。決めた。12月の空いてる連休でヤツに乗って旅に出よう。

 

 

反対側のホームに上野東京ラインの通勤客が居並ぶ中、堂々と入線してきた。

寝台特急サンライズ出雲•瀬戸。

サンライズは東京駅発着の寝台特急の生き残りだ。

同じ車体だが二つの編成、二つの特急列車が併結されている。夜9時50分に東京駅を発ち、途中の岡山駅で切り離してサンライズ瀬戸は翌朝7時半頃に高松駅到着、サンライズ出雲は翌朝10時頃に出雲市駅に到着する。

後ろに立っていた上野東京ラインに乗る女性組が「なにこれ」「これめっちゃ高いらしいよ」「ベッドがあるんだって〜」なんて話をしているのを横目に、列車の端から端まで観察しようと歩き回る。鉄道ファンの儀式のようなものだろう。

 

13号車B寝台2階。

それが私に与えられた旅の居場所だった。

「あっ、ここだ」

13号車のドアの前で立ち止まる。

いよいよだ。

小学生のあの頃、お小遣いが月1,500円だった頃、Suicaで改札を通り抜けるだけで喜んでたあの頃の自分が、指を咥えてホームから見ることしかできなかった列車に乗るのだ。

自分が乗る客室をホームから窓越しに見るだけでワクワクしてしまう。

この列車が今も現役である理由がなんとなくわかる。

安くはないが手頃な値段で、乗客に旅の夢を与えている。

夜中の東京駅、遠くから風変わりな列車がやってくる。やがてホームに入線した時、誰も彼の存在を無視できない。彼の魅力には新幹線すら勝てない。

サンライズは移動手段ではないからだ。

新幹線は高速の移動手段でしかないが、寝台特急サンライズは、彼そのものが「旅」であり「夢」なのだ。

 

 

乗ってしまった。

ようやく乗れたのだ。

「自分の部屋はどこだ?」と階段を登り探し始める。

ドアを開けっぱなしで寝る準備をしている人や、シャワー券を買い急ぐ人(シャワーを浴びるには自販機コーナーでシャワー券を買う必要があり、売り切れるとシャワー室を利用できない)、はしゃいで客車内を散歩してるカップル、色々な人がいる。

A寝台は完全な個室だ。10cmほどB寝台より幅広のベッド簡易な椅子と机があり、サンライズ仕様のアメニティが付属する。シャワー券は買う必要がない。

www.toretabi.jp

 

自分が乗ったB寝台は大きな窓の真横にベッドがあり、小さな荷物置きとハンガーフック。コンセント。それでおしまい。

乗った感想としてはB寝台の方が好きな人もいるかもしれないといった印象で、俺は気に入った。微妙な狭さが古き良き寝台特急の文化を受け継いでいる感じがする。部屋のドアは任意の暗証番号でロックできるし、ハンガーフックもある。荷物を置くスペースもあるし、窓のところにお弁当や飲み物を置ける微妙なスペースもある。何も困らない。

21:25分前後に入線して約30分停車して21:50に発車。

この時間がとてつもなく自分には嬉しい。

昔、太田市場の仲卸市場で夜職をしていた時代、いつも通勤の上野東京ライン常磐線)の車内からサンライズを見ていた。今夜はサンライズの車内から常磐線を見下ろすのだ。

車内に戻ると、隣室のオジちゃん(知らない人)に

「製氷器どこでしたっけ?」と聞かれる。

「いやー、初めてなんでわかんないです」と言うと

サンライズには製氷器があるんだよ。自販機のとこに」

「えっ?そうなんですか?よかったら初めてなんで色々と教えてください!( ^ω^ )」

「よっしゃ!一緒に製氷器行こう!٩( ᐛ )و」

と話していたところに車掌が通りかかる。

車掌「製氷器?そんなものはない」

オジさん「あるだろ!(怒)昔あっただろ!(憤怒)」

車掌「そんなものは昔からない」

オジさん「あったよ!あと米子で降りるから米子で起こして!」

車掌「できません」

オジさん「なんでや!」

俺「撤収! ʅ(◞‿◟)ʃ」

 

洗面所とトイレを探検。

古い国鉄車輌や特急列車に乗ったらトイレの写真を撮るようにしている。

鉄道トイレはその時代ごとに、色々な工夫や構造上の特性があるので色々と観察してしまう。サンライズは車齢20年を重ねている。さらに昔の特急トイレは狭かったし、逆に最近のトイレは障碍者や高齢者の為に手摺りや車椅子で使えるバリアフリートイレが設置されていたりする。時代の価値観が鉄道トイレには細かく反映されるのだ。サンライズには赤ちゃんのオムツ履き替えの台がトイレにある。サンライズがデビューした1998年は通勤列車に優先席が普及し、妊婦や子育て女性への配慮が求められ始めた時代なのだろう。戦前のトイレは線路に垂れ流しだったようだし。別に変態ではないです。お巡りさん私じゃないです。

 

隣のホームの常磐線が発ってまなく、サンライズも出発した。

先ほどの隣室のおじちゃんと揉めていた車掌が検札にきた。

いいなぁ、この車掌に切符を見せる感じ。旅だな〜。

自分の部屋は進行方向(横浜方面)へ向かって左側。新橋や有楽町のビル群、追い越していく新幹線を眺めながら部屋のベッドでボンヤリしていた。

そういやシャワー券なんてのがあったなと思い出し、販売している車輌まで移動したが既に売り切れていた。早すぎる。まあ別に、家を出る前に風呂に入っていたので別に構わないのだが(泣き顔)。。サンライズのシャワーは数分間の時間制限がある上、一度しか使えないので不便らしい。

 

 

黒と金星だった。

 

黒字に金星印のサッポロビールを開けて晩餐を始めたと俺は言っているんだ(怒)(焦)(歓喜

東京駅で売られていた閉店前の割引ご当地弁当を食べる。イベリコ豚弁当。くっそ美味い。入院食も見習って欲しい。イベリコ豚らしさがある甘みとヘルシーな脂っこさ。胃もたれしない脂っこさという表現が伝わるかどうか。これが愛なんだね。神と和解せよ。

お弁当を食べていたらあっという間に横浜駅に停車。

ビールを少しずつ飲んでたら大船で信号停車。

この日は高崎線赤羽駅で起きた遅延が各線に影響していたとで心配したが、すぐに発車してくれた。

 

ぼーっと車窓を眺めていて、ふとGoogleマップで現在位置を見たら江ノ島を越えた辺り。もう藤沢駅か。

消灯する。私の部屋は海側だったので、西湘バイパスと共に相模湾が見え始める。消灯した。

寝ないといけない。早く寝て、朝陽を浴びる山陰の車窓を眺めたい。

けど寝れる訳がない。

いつも車でドライブに訪れる、バイクでツーリングに訪れた海沿いの国道に沿って鉄路が続く。

サンライズの車窓から眺める伊豆の海の夜景。

眠れる訳がなかった。

熱海駅に停車した。既に横になっているが、眠れない。

 

夜汽車の音は、トタタタ、トタタタ、トテタタタ。

0時前には富士駅に到着。

耳栓をして目を閉じる。

 

全っ然眠れない。

耳栓は持ってきた。

だから音よりも揺れが気になる。

揺れる。揺れるベッド。ハンモックとはまた違う異質の揺れ。気づいたら寝落ちしていた。

 

目が覚めると、琵琶湖の辺り。滋賀県豊郷。

偶然のタイミングの目覚め。懐かしい場所だ。ここには歴史的な大ヒットを記録した深夜アニメ「けいおん!」の舞台となり、主人公達が通う学校のモデルとなった旧豊郷小学校がある。

昔、免許を取って1ヶ月後、高校の同級生だった友人達と4人で「東京発、車日帰り京都旅」という某北海道ローカル番組、水曜どうでしょう的な企画をやった時に訪れた思い出の場所。当時の写真である。

あれ?何の話してたっけ?

サンライズだ。サンライズ出雲

 

豊郷の旅を思い出しながら再び眠りに。

目が覚めると「姫路駅」の看板。

あっ、姫路城だ。行きたい。行きたいなぁ〜...(寝落ち)

再び眠り、起きると岡山駅。朝6時半前。

岡山駅サンライズ出雲•瀬戸が切り離される駅。

上述したが前方の編成瀬戸はここから四国へ、後方の出雲は出雲市駅へ別れていく。さよなら瀬戸。

一時間ほど眠り起きると、列車は既に山陰。

山陽本線から伯備線を走行中。高梁川沿いに日本海側に向かって北上を始めていた。

曇り空。朝陽はない。

んー。何もない。

本物の田舎だ。「何もない」ってやつだ。

朝ご飯は東京駅で買ったお稲荷さん。

稲荷寿司専門店豆狸の稲荷。

穴子2個と、わさび、豆狸。

結構ボリュームあって、2個でよかったかも。。

江戸前穴子は美味しい。朝の目覚めにわさびの香りも良き。豆狸はよくわからんけど美味い。けど朝食でこの量の炭水化物はやはり重い。閉店前の割引で安いからといって買いすぎた。お腹いっぱい過ぎて少しずつ食べた。

 

列車は山間の田園風景、川、小さな街並みを眺めながら進んでいく。

何だか1990年代にスリップしたかのような街の景色だ。

不景気で発展することをやめた地方都市に平成初期の残り香が漂う。

 

米子駅に到着する。

日本海側に到着した。まもなくだ。

松江を過ぎたら終点出雲だ。

米子駅はやばい。

何がヤバいって、駅の隣にある米子機関区の光景だ。

東京では既に見られなくなった景色が未だに残っている。

扇形機関庫、転車台、DD51国鉄型の大型ディーゼル機関車)、キハ40の群れ(国鉄ディーゼル車)、マヤ検(国鉄時代の検測車)、381系やくも。。恐ろしい。昭和の国鉄の風景のまま時が止まっている。JR西日本は鉄道ファンには神様のような存在だ。これほど国鉄車が残されているのに撮り鉄が1人もいない。最高だ。

 

そういえばB寝台の室内だが、枕の横にあるスイッチで照明の操作ができる。

昔はラジオも聴けたようだが、既にサービス終了している。コンセントもある。目覚ましアラームの使い方はよくわからなかった。調整できない枕横のエアコンの吹き出し口とは別に、靴置きのフットヒーターの強さは調整できるので、それで部屋の温度を調整できる。

 

サンライズから見える宍道湖の車窓は美しいらしいが、自分の寝台は宍道湖の反対側なのでボンヤリと街並みを眺めていたら松江駅に到着。

そして、、終着を告げる車掌の放送が流れる。

出雲市駅への入線だ。

12時間を寝台列車で過ごす訳だが、半分以上は眠っているので、気づいたら岡山にいて、のんびりしてたら出雲市駅に着いていた感じ。

夜行バスや早起きしてのる飛行機と違い、しっかり眠って体力を回復させると同時に目的地に到着する寝台特急には魅力を感じる。

 

サハネ285-3001。

乗った車輌のナンバーは記録しておく。

この先、鉄道模型で再現できるかもしれないし、再び乗る時に自分が乗った車輌を思い出せるからだ。

ありがとうサンライズ出雲

ホームでのんびりと彼を眺め、写真を撮り、改札口へ向かう。

他の多くの乗客が自動改札を使わずに駅員に使用済みのハンコを押して貰い記念に持ち帰っていたので、自分もそうした。

 

ここからは一畑電車に乗り換えだ。出雲大社へ旅が始まった。

 

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上野駅には、ふるさとのにおいがする。誰か、郷里のひとがいないかと、嘉七には、いつもおそろしかった。わけてもその夜は、お店の手代と女中が藪入りでうろつきまわっているような身なりだったし、ずいぶん人目がはばかられた。売店で、かず枝はモダン日本の探偵小説特輯号を買い、嘉七は、ウイスキイの小瓶を買った。新潟行、十時半の汽車に乗りこんだ。

 向い合って席に落ちついてから、ふたりはかすかに笑った。

 

太宰治 / 姥捨

1947年発表

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