The Last Detail

旅と治療の記録。

美唄鉄道と4110形機関車。

 

前回 

momogon.hatenablog.com

 

三笠鉄道村を出てから再び道央道に乗った。午後二時頃だったと思う。この日は壮大な移動計画を立てていて、レンタカーフル稼働の日だった。目的地は留萌。明治43年に開業した留萌の鉄路は来年の廃線が決まっている。別れを告げたかった。昨年末の旅行で留萌本線に乗る予定だったのだが大雪の影響で留萌を中止して旭川連泊するハメになったので、この旅で行かねば後悔すると思った。かといって旅程が限られている。今回の旅は三日間しか猶予がなかった。道央道で留萌へと向かうのだが、途中の美唄ICで一度道央道を降りる。

 

美唄鉄道」

もう、名前から美しいと思った。10年ほど前、築地市場で働いていた頃だった。深夜3時頃、NHKで「昭和のSL映像館」という番組をやっていて、それはひたすら無言で、何のナレーションもなく、BGMと共に「昭和〇年頃 ☓☓☓線 △駅付近」のようなテロップが小さく流れるだけの30分ほどの番組だった。その時に放送された廃線間近の美唄鉄道の8ミリフィルムの映像が強烈に印象に残っていて、個人的には日本国内で最も美しい蒸気機関車だと思った。一度でいいから実車を一目見たかった。

 

大正3年に石炭輸送を目的として開業された美唄鉄道は三菱が経営した美唄炭鉱の石炭輸送を目的に函館本線美唄駅から常盤台駅の10.6kmを結ぶ短い鉄道だった。北海道の石炭産業興隆の象徴ともいえる路線で、40両近い石炭貨車を輸送する為に日本では珍しい5軸動輪の蒸気機関車が使用された。昭和47年の炭鉱閉山と共に役目を終えて廃線となった。

 

美唄鉄道4110形。自分が最も美しいと信じる蒸気機関車

 

美唄ICから降りて車で10分ほど。

廃れた街の一角に、彼は大切に保存されていた。

 

東明駅舎。かつてのままの姿であるが窓は塞がれてしまった。

改札の跡が残る。

 

2号機。

 

 

 

全国からの寄付で、再塗装などのメンテナンスがされている。

かつてのホームは草に埋もれていた。

 

1914年に輸入されたドイツ製機関車を日本が独自に改良したのが本機で、1914年から1918年にかけて39輌が製造された。3両が現存している。日本鉄道保存協会が非公開で2輌を所有。一般公開されているのは本機のみ。

 

現役当時の写真はこちらのサイトで閲覧可。

当時の2号機や東明駅が撮影されている。

nigochu.xsrv.jp