大井川鐡道 Part.3 (井川線編)
列車は奥大井湖上駅という、ダム湖に浮かぶ小島にある小さな駅などを通り過ぎていく。いよいよ停車駅は山間の秘境駅ばかりだ。
そのうち印象深い駅だったのが尾盛駅。終着の井川駅から2つ手前の駅。
車内放送によれば、尾盛駅は鉄道以外にアクセスする術はないらしい。かつてはダム工事関係者が200人ほど住む集落があり、小学校もあって常駐する医師もいたそうだ。
駅小屋の後方に広がる石垣がかつての巨大な集落を偲ばせる。
現在の駅小屋は元々は保線用倉庫として封鎖されていたが、約10年前に熊が出没してからは避難場所を兼ねて待合室として乗客も利用できるようになったらしい。
途中下車しようかと思ったが、ホームに鹿が二頭いたのでやめた。
こういった秘境駅はなぜ存続しているのか?
当然、疑問に感じることだろう。
利用客なんて誰もいないのだ。
大井川鉄道井川線。この路線は毎年、2〜3億円の赤字を出しているが中部電力による特別補助金により黒字化されている。
ダム建設の為に疎開したり、何らかの協力をすることとなった村民への補償内容に、鉄道の維持や道路インフラの整備などが盛り込まれていたらしい。
今回の記事の最初に紹介した尾盛駅だが、集落は廃村となり、接続する車道も遊歩道もない。利用客といえば暇な観光客と、この駅を下車して登山道へ向かう登山家だけだ。
この駅がなぜ維持されているのか?
それは戦前からこの地に住み、大井川森林を開発し、ダム建設に貢献した人々。やがてダムの湖底に沈む村々に住んでいた人々と電力会社が交わした「約束事」なのだ。
「村の未来の為にこの駅と鉄道を残せ」と。
尾盛駅に住民はいなくなり、この地は南アルプスの大自然に還るのみとなった。
しかし当時の約束を、経営権を大井川鉄道に委託し、赤字を補填する形で、今も中部電力は守り続けている。
尾盛駅を過ぎると、関の沢橋梁へ差し掛かる。
車内放送によれば国内で、最も川底から高さ(70.8m)がある橋梁らしい。
今の時期はコロナ対策で窓を開放しているので、隧道内は肌寒い上、急カーブの度にレールが軋むのが大音量で鳴り響く。
素掘りの隧道内で繰り広げられるこの光景が、「昭和の森林鉄道、軽便鉄道」という感じでとても好き。
尾盛駅を発車し、関の沢橋梁を渡り、再び秘境駅として名高い閑蔵駅に停車する。
閑蔵駅は車道が近いのでバスでもアクセスができるので、鈍行の鉄道を乗り捨ててバスで時間短縮して千頭駅へ撤収する乗客に愛用されているらしい。
閑蔵駅を出ると、十数箇所の隧道を抜け、終着の井川ダムが見えてくる。
千頭駅を出た頃にはそれなりに乗客がいた車内も、既に無人状態。
新金谷駅を出発してから3時間10分。
千頭駅からトンネル61ヶ所、橋梁55ヶ所を越え、14駅目である終着の井川駅へと入線していく。
終着駅でありながら、分岐線から隧道へと線路は続いている。
この先には堂平駅という貨物駅があるが1996年を最後に使用されず、現在は休止駅となっている。
堂平駅にはレールが残されているが、このトンネルの先で線路は寸断されていて繋がっていないので事実上の廃駅なのだろう。
復路の発車まで30分あるので、井川ダムへ散策に行くことにした。
このまま堂平駅へ歩こうか迷ったが、抗がん剤治療中ということもあり体力的にも意識的にも朦朧とし始めて、そのまま駅舎のベンチでダウンしてしまった。
骨髄抑制による貧血で集中力もない。
復路の列車で接岨峡温泉駅で日帰り温泉に浸かり撤収することにした。
駅前露天。
番台に誰か居るわけでもなく、入湯料の看板とPayPayのQRコードが貼られているだけ。
発展しているのか衰退しているのかよくわからない。
右脚の3度に渡る癌の手術痕を他人に見られたくないし、抗がん剤で髪の毛もないし、なんとなく人目を気にしてしまうので、閑散とした山間部の秘湯の存在は嬉しい。
案の定、入浴客は自分だけだった。
屋内の湯は熱くて心地よいが露天は温くて肌寒い。
しかし山間の秘湯にありがちな、湯に虫の死骸が浮きまくっているような惨状はなく、しっかり掃除してくれているようだった。
夏の山奥の秘湯は虫が怖いからな。。
湯から上がると次の列車まで時間があったので、駅前を散策。
駅前といっても、露天風呂と付随する民宿施設。使われている気配のない木造の機関庫と駅員の休憩小屋しかないのだが。
踏切を渡って長い坂を下ると川へ出るのだが、体力的に無理だった。
抗がん剤治療が始まる前に行った北海道では「丁寧な旅(=歩き続ける旅)」にこだわっていたのだが、抗がん剤により体力が大きく低下していることを実感した。
千頭駅にはSL資料館があるので立ち寄ろうかと思ったが体力は限界。
井川線から本線への乗り換え後は電車で爆睡。
何の記録も記憶もない。
帰路の車両7200系。
元々は東急で1967年にデビューし東京都心を走り抜けていた。やがて廃車となり青森県の十和田観光電鉄へ売却されたものの2012年に十和田電鉄が廃線。2014年に大井川鉄道に譲渡されこの地で余生を送っている。
大井川鉄道を走る車輌は死にかけながらも大井川鉄道に救われて復活してきた。
かつては大都会を走り抜けた機関車や電車。彼等は地方で余生を送ったり、保存機として田舎の片隅で錆びるがままに朽ち果てていた。
幸運なことに彼等は新たな役目を担い、この地で復活していく。
深い静岡県の片隅で、ひっそりと死者は蘇る。
川根温泉の道の駅で車中泊をし、翌昼に新東名への帰途についた。