The Last Detail

旅と治療の記録。

今回の入院が治験に与える影響。

右大腿部の皮膚移植をしてから一ヶ月ちょっと。

既に職場にも復帰して(歓迎されている訳ではないが)マイペースで自分なりに、限られた範囲ではあるが何とか仕事をこなしていたところでの今回の入院。

事の顛末は前回の記事を読んで欲しい。

皮膚移植といってもすべての範囲を移植したのではなく、二か所には皮膚が足りずに人工真皮を使用し皮膚の回復を早める措置をとったのだが、人口真皮が体質に合わなかったようで術後4日ほどで取り除いた。要するに、数か月かけて皮膚を自然回復するということ。

 

昨日、病院で診察があったが綺麗な肉芽が出ているということで、今後も皮膚の自然治癒を待ちながら日常生活を続けていくことになる。

退院後は染み出しも多くてガーゼ交換も大変だったが、最近は少し減った印象。とはいっても一日で滅菌ガーゼが駄目になるが。。ガーゼを8重くらいにして使っていたがようやく医師に「もう染み出しほとんどないからガーゼいらないよ」と言って貰えた。

浮腫みは収まる気配はない。最近は浮腫みを抑える医療用のストッキングを履いているのだが締め付けが痛くて脱いでしまう時もある。浮腫みだけは辛い。脚のふくらはぎがカチコチに固まってしまっている。

 

さて、今月中旬に左肺と腹部軟部組織への腫瘍転移が告知されて治験に参加するかの話が出ている。類上皮肉腫には奏功する抗がん剤がない。既存の肉腫に使われる薬を試したりするのだが、今回は偶然に治験の話がきた。薬剤名等の詳細は控える。

国立がん研での治験になるようだが、そもそも、治験を受ける条件に該当するかの確認からしていかないといかないので今月から治験に向けた検査をしていく。

「転移の進行によっては今月から治験に参加しましょう」と言われたが、検査期間中に腹部の激痛で今日入院してしまった。

 

来週半ばに退院して翌日国立がん研に行き治験への計画を仕切り直す予定なのだが、今回の腹部の激痛は大動脈付近の血管が何らかの原因で炎症を起こしていると言われている。血液の細菌感染が原因ならステロイドや抗生剤治療に入らないといけないので入院期間が延長になるだろうし、病院で年越しするハメになる。

仕事も潰れて頭真っ白。

実家はアテにならないし、どうなることなら、、

 

 

君はどう生きるか。

12/23の夕方5時半にこの執筆している。

今日の昼、緊急入院した。

 

今週の月曜日辺りから腹部に異変があった。

朝起きて目が覚めると同時に猛烈な腹痛。

しかし波があって、昼間は楽になったり、夜になると痛みが増したり。

痛みを誤魔化しながら生活していた。

 

木曜日、午前中に通院し、過去に投与された抗がん剤の副作用で心筋症リスクが上がっていた為、心臓関係の検査。異常はない。

腹痛は和らいでいたので、「最近お腹の調子が悪い」なんて話を医師としていた。

午後は妹夫婦の家に遊びに行き、モツ鍋食べたり犬や姪と遊んで夜の9時頃にお別れ。

その後、車で帰宅。

駐車場で車から降りた瞬間に猛烈な腹痛。

 

昨晩、とうとう痛みで歩けなくなった。

正確に言えば歩けるのだが、一歩一歩に激痛を伴う。

病院に電話すると今から救急外来に来てくれと一言。

救急車を呼んでもいいと言われたが、なんか変な正義感があって救急車をタクシー代わりに使うべきでないと思い電車で向かう。

この時夜10時すぎ。

もう駅の階段を上り下りするのがシンドい。

あってよかったエスカレーター。

強風で京葉線は遅延していて、乗り換えの為に南船橋の極寒のホームで電車を待つ。

新木場からは久々のタクシー。1900円。

「お釣りいらないから」と2,000円出して病院の守衛室へ。

 

深夜に病院に到着し緊急検査したが異常の原因がわからず、入院できない。

翌朝から診察予約が入っていたので病院前のホテルに一泊して、翌朝は再び病院へ。

お腹はヤバいレベルで痛い。

昼前に、深夜に撮影したCTの解析が進んで原因がわかってきた。

後腹膜の近くにある血管が何らかの原因で炎症を起こしているらしい。

しかし原因が特定できないので治療ができない。

午後からは国立がん研で治験に向けた準備検査をする予定だったのだが予約は強制キャンセルされ、そのまま入院となった。

 

 

この世にN山という男が存在する。

高校の同級生である。

俺2人分の体重の巨漢でビッグマックと二郎系をこよなく愛す。

「持ってるだけで儲かる」とトルコリラに手を出して給料3ヶ月分を吹き飛ばした。

競馬で勝つたびに吉原の話をしているが正常位で嬢が(脂肪により)窒息死しないかいつも心配している。

昨日、妹夫婦の家から車で帰る途中、運転しながらハンズフリー通話で中山に電話をした。

妹夫婦とモツ鍋を食べている間に不在着信があったから折り返したのだ。

旦那さんが買ってきてくれた地元肉屋のオススメのモツは、「モツの角煮」と形容できるほどデカくてトロトロで美味しかったです。話が逸れました。

「管理してる現場の警備員がコンビニのレンジで雨で濡れた手袋を温めて発火してボヤ騒ぎを起こしてそのまま警備員が逃走して警察から電話がきた」という話を聞いたあと、彼の声を聞いてるうちにフッと頭の中で石コロを連想した。

 

彼は数ヶ月前に尿管結石にかかっていた。

腎臓や泌尿器に石コロができて、その石コロが尿道から排泄されるという「男性が味わう最大の激痛」である。出産と争う痛み。

神様はキチンと見ている。彼は尿管結石になった。

グループLINEで尿管結石の痛みを語っていた彼の声を聞いて、京葉高速を運転しながら俺は思った。

 

「あれ?この腹痛、尿管結石じゃね?」

全ては勘違いから始まった。

駐車場で車を降りた時の激痛で、もう尿管結石だと思い込んだ。

深夜に病院着いた後も「尿管結石かも」と伝えていた。

癌になる前はラーメン二郎愛好家だった俺の身体に結石があってもおかしくはない。

癌になった後もたま〜〜〜に誘惑に負けて二郎系を食しているが(N山には「緩やかな自殺」と言われている)が、3ヶ月に一度くらいのペースだ。毎日のようにビッグマック食ってラーメン食って結石になったバカとは違う。

「このタイミングで結石はおかしい」と彼との電話で俺は言っていたのだが、その通りだった。後腹膜線維症の疑い?

病名は良いから治してくれ。

原因がわからないので今もベッドに寝て放置されているだけである。

 

1番許せないのはN山。

「人の不幸は蜜の味だからな〜」

「いや尿管結石はめっちゃ痛いよ(笑)」

「(何科受診した?)結局泌尿器科に行ったけどCT撮ったらすぐ原因わかったよ」

「検査の結果が楽しみだわ〜(笑)」

 

あのさあ。。

お前さあ。。

人としてさあ。。

末期癌と言われてステージ4と言われてる友人にさあ。。

どういうこと?

そんなんだから千葉工業大学AO入試に落ちるんじゃない?

あんなの普通落ちたくても落ちないよ?

俺が中学生の時、同級生が放課後「忍者だあ!」ってホウキで教室の天井突いて穴開けて担任に激怒されていたが、彼も合格しました。

千葉工業大学の面接官は受験生の心の中を見透かしてるんだよ。

確かに偏差値は高くない。

けどロボット研究なんかは日本の大学屈指のレベルである千葉工大

学力ではなく「夢を掴みたい」「学生生活をやり直したい」「挑戦したい」学生にチャンスを与えるAO入試

「こんなバカ大学簡単に受かるだろw」と玉砕したあの頃から君は何も変わってない。

ごめん。

ちょっと言いすぎたかもしれない。

これ読んで泣いてたら俺は君に謝るよ。

また来年、野郎共で旅行に行こうな。

 

 

話が変わるが実家にいる母方の祖母が完全にボケてしまったらしい。

人を介して聞いた話によれば排泄の感覚もなくなってしまったらしい。

近くの介護施設に手伝って貰うべきだと思うがお金がかかる。

しかし詳しく聞いてみると、行政のケアマネジャーに相談すらしてないらしい。バカなんじゃないかコイツら。

ケアマネに相談して介護等級上がるなりすれば介護保険の適用範囲も上がって行政からの支援も増える。

まずは行政や介護のケアマネと話し合うべきなのだが、祖母の娘3人、誰もやっていないらしいのだ。

過去の祖父母や大叔父の入院の旅に娘3人のうちの次女である叔母が全部やってきたので、次女が限界なのはわかるが後の2人は、片方は立ち回りが上手いだけで実質何もしていない人、片方は息子(俺)に全部任せてきた人。お見舞いに顔を出して適当に土産持ってけば役割を果たしていると勘違いしている。

金銭管理をしてケアマネや病院側と話し合い介護や治療の方向を決めて日常生活のサポートをして初めて役割を果たしたと言えると思うのだが。

朝4時半に起きて掃除をする前にやるべき事が他にあると思うが、優先順位がわからないのかもしれない。

実家側は俺が実家に帰ってくるのを望んでいるようで、「癌で大変なんだから実家に戻りなさい」と言うがそれは表面的な建前で、体質は全く変わっていなさそうだ。要するに本音は、「祖母がヤバい。決定する責任から逃れたい。主導権を握りたくない。」から「癌ならご飯も洗濯も寝る場所も提供してあげる。その代わり実家に金を入れろ。祖父母の面倒も全部やってくれ」という話なのだろう。

自分より弱い立場の人間を独占し、束縛し、命令し、脅す。それが我が家の低レベルな処世術なのだ。

曽祖父の時にあった遺産時価2億は、無責任な方々の立ち振る舞いにより消失し続けている。最後の土地も時間の問題だろう。俺の養子縁組破綻により、終末は見え始めている。養子破綻の原因は祖母にもあるので、まあ自業自得ではある。過去に親族が作った莫大な借金も、祖母が一つの大きな原因だった。この境遇に誰も異論を唱えないのは不思議ではない。

俺は養子になってまで実家を存続させる為に出来る限りのことをやった。従姉妹達は祖父母のことなんて興味ないだろう。「遊びに行く」だけで祖父母にいくらでも可愛がられる。

将来について話し合い理解し協力し合わねばならない先程の3人が、いや2人が、くだらない処世術に依存している。

数千万の借金を作り祖父母の土地の一部を吹き飛ばした事は遠い過去、無かったことにして娘とお揃いのラルフローレンを着る。その前にやるべき事があると思うのだが、言っても彼女は理解しないだろう。

 

俺は癌になって初めて入院した時に、残りの人生を社会貢献に費やすと決めた。

その後、政治団体の知り合いを介してコロナ禍の病院の労働組合を支援して厚労省への陳情活動に行ったり、患者会で四苦八苦したり、本職として自動車学校の教官として働いている。

残りの人生をあなたはどう使い切るか。

自分の私利私欲の為に使う人、家族との時間に使う人、趣味に、仕事に、恋人に、旅に。。

そこに正解はない。

 

ただ大切なことは、「何をするか」「何を成し遂げるか」ではなく、「どう生きるか」ではないだろうか。

 

私はどう生きるか。

君はどう生きるか。

営業車で富士スピードウェイを疾走してきた

友人と御殿場の富士スピードウェイに行ってきました。

体験走行ができるというので2,000円払い、助手席に高校時代の同級生を乗せてコースを走ることに。

私は車中泊仕様の、キャンピングカー用途として一般的には営業車として使われているサクシードに乗っている。

トヨタが作り出した営業車の最高傑作でありネットで「公道のランボルギーニ」と謳われるサクシード(プロボックス)。

サクシードは車両総重量は1100kg程度しかないので加速が良いし小回りが効いて運転しやすいし、エンジンはCVTだが低速レンジが扱いやすくエンブレ効くし加速も良い。後部の積載の使い勝手が良すぎて使用用途が広いし、設計が単純なのでカスタムが楽なのも良い。自分でステアリングはイタリアのナルディ製に交換し、スピーカーも交換した。電球の交換も簡単。オイル交換もエレメントもメンテナンスは全て自分でやっている。とにかく扱いやすい。4ナンバーなので車検は年一回だが1500ccしかないのでオートバックスで四万円もかからない。自動車税は8,000円くらいかな?馬鹿らしくて3ナンバーの維持費なんて払えなくなってしまった。

 

公道のランボルギーニなんて言われるが、本気で走らせたことはなかったので富士スピードウェイの体験走行は良い機会だと思った。

 

約2000円で3周走れる。

先導するセーフティカーに参加する車が車列を組んで走るだけなのだが、意外とガチ。

「体験」なんて侮るなかれ。

ストレートはアクセルベタ踏みである。

ハチロクシビックは余裕の走りを見せていたがサクシードの自分や後ろのシエンタは必死についていく状態。

 

コーナー低速レンジでエンブレ効かして出口から80km/hくらいまでSレンジで引っ張る。唸るエンジン。タイヤの軋む音。

スポーツカーでないからこその面白さがあって、ストレートも140km/hくらいで走れた。先導車が抑えてなければさらに加速できたはず!!

まあそこから先をサーキットでやりたいのなら国内Bライセンスを取得して、ヘルメットかぶって参加してくださいということなのだろう。。

BMWのZ4とか欲しいなぁ。

初期型の中古は安いけど故障がめっちゃ多いと聞く。

FRのMTで爆走してみたい。

癌になる前、元気な頃にもっと挑戦しておくべきだったなぁ。

 

そういえば仕事の方は、中型車教習指導員に新たに選任された他、高速教習も担当し始めることになった。

少しずつ肩書きを増やしていこうと思う。

 

帰りは釣り堀で虹鱒を釣り家に持ち帰り。

 

大涌谷で黒たまご買って帰宅した。

 

昔は隼で御殿場や箱根にツーリングに来ていたが、今の脚ではもう無理そうだ。

サーキットで隼を見かけたが、色々と懐かしい気持ちになった。

市販車で初めて300km/hを出せるバイクとしてギネスブックに載った隼。

俺も隼でサーキット走ってみたかったなー。

過去の自分は家族に貢献しすぎた。感謝もされないし、祖父母や両親に都合よく利用されているだけということに気づかずに。

家族の意見に左右されず、これからは後悔しないように生きよう。

皮膚移植総括

 

麻酔目が覚める廊下。

何か言ってる。記憶にない。どうでもいい。

背腹?拝伏。背腹。

10時間俯せの手術。

胸骨の激痛。水疱。

斬られた背中。

丸一日水を飲んでいない。

まだ飲めない。探しても見つからない。

見つかった金庫の端。

連打する鎮痛麻薬。

眠れる訳がない。

成れの果て。俺を試してる。

躍るのは誰?

巻いた種。善行は罰を伴う。

叫び寄せる新たな麻薬。

押し寄せる孤独。

引き寄せる痛み。

20cmの皮膚移植。

失敗した人工真皮。

感染。出血。高熱1週間。

昨日今日明日明後日

現実は変わらない。

地道に読み悟り書き芽吹く。

飛び交って浮かんでく脳内。

本音。虚言?

くだらないLINE。

健常者の偽善、病人の卑屈。

曲がらない脚。

動かないが止まらない時間。

言って伝わる訳がない。

毎日毎日何も変わらない。

あらゆる虚しさ。期待するな。

叫ぶ晩。夢。脚がない。靴がない。

身を委ねたままで。掻き捨てた恥。

時が去る。

曖昧な記憶。

有耶無耶にできない。

意志もなく、最期はいつ来る。

 

 

 

幼馴染と会った

 

自分は高校二年生の時にプロテスタント系の教会で受洗したクリスチャンなのだが、当時、幼い頃から毎週安息日教会学校に通っていた地元の旧友と久しぶりに再会した。

7,8年ぶりだろうか。お互いに鉄オタで、最後に会ったのは池袋で行っていた鉄道部品の即売会に一緒に出掛けた時だったと思う。

 

自分が子供の頃、親が厳しくて門限はバカ早くて中学校の部活動も最後まで残れない程でとにかく家に居たくなかったのだけれど、何故か教会のイベントには参加させて貰えていたので毎週楽しみにしていたのを覚えている。夏季には合宿のような形で(実質遊んでいるだけ)軽井沢に2泊3日行ったりしていた。今年の夏頃に軽井沢の合宿施設は解体されてしまったので今の教会の子供達はコロナ禍もあり夏の思い出を作れない訳で、自分達は関東のプロテスタント系の教会の子供の中でも一番良い時期にキリスト教と触れ合えたのではないかと思う。

 

日本は仏教や神道の信者が多いし、昨今は統一教会の問題が大炎上し過去の個人献金や信者獲得の為の囲い込みのトラブルから創価学会に飛び火して、公明党が大慌てしている様子を遠目から見るのは楽しいことこの上ないが、他の真面目な宗教団体のイメージまでもが悪く思われるのは残念だ。

 

自分が教会に居た頃は幼馴染達と教義そっちのけで遊びまわっていたので、まあAYA世代として癌になったのは罰が当たっただけのような気もする。。

銀座アスターで中華のコースを食べながらそんなたわいもない話をして、サンマルクでお茶して解散したのだが、まあ相手の個人情報もあるのでそんなに深くは書かないが、お互い30代になると人生に色々な変化があって、たまには同窓会のように出会うのも楽しいなと思った。

 

 

大阪ミックスジュースと練乳いちごバナナスムージーで血糖値爆上げしてフィニッシュ。

【癌治療】手術で入院する時に病室で聴いていた曲

癌で入院したことある人ならわかるはず。

とにかく夜眠れない。

そんな時にイヤホンして音楽聴いて、まあさらに眠れなくなる訳なのだが。。

 

ありがたいことにコロナ禍ということで親や親戚など面倒な家族の見舞いを相手にする必要もなく、妹に着替えを持って着て貰うくらいで、治療に専念できるし看護師さんと色んな話をしながら自分の人生や退院後の生き方について考える訳だが、特に外科手術は術後身体が動かせないのでラジオや音楽を聴くくらいしかやることがない。

 

というわけで、入院中によく聴く音楽をまとめてみた。

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【世界大戦のきっかけ】旅で訪れたサラエボ事件の血まみれの軍服と車【ポーランド危機を考える】

暗殺時に着用していた大公の軍服

 

数年前にオーストリア、ウィーンを訪れた時の話である。

ウィーン郊外にある軍事史博物館を訪れた時、第一次世界大戦の引き金となった「歴史の証人」を見学した。サラエボ事件の時にフェルディナント大公暗殺された時に着用していた軍服と、弾痕が残るオープンカーだ。

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