【世界大戦のきっかけ】旅で訪れたサラエボ事件の血まみれの軍服と車【ポーランド危機を考える】
数年前にオーストリア、ウィーンを訪れた時の話である。
ウィーン郊外にある軍事史博物館を訪れた時、第一次世界大戦の引き金となった「歴史の証人」を見学した。サラエボ事件の時にフェルディナント大公暗殺された時に着用していた軍服と、弾痕が残るオープンカーだ。
<サラエボ事件のおさらい>
1914年6月28日、オーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が狙撃(そげき)暗殺された事件。第一次世界大戦の導火線となった。大公夫妻は、1908年以来オーストリアに併合されていたボスニアの州都サライエボSarajevoを、オーストリア陸軍演習のため訪れていた。暗殺に参加した青年たちは、帝国の隣国セルビアを中心に統一南スラブ国家を建設しようとする、大セルビア主義を掲げる反オーストリア秘密結社の援助を受けていた。オーストリア政府はセルビア政府の責任を問い、反オーストリア活動の弾圧など内政干渉にあたる要求を含む最後通牒(つうちょう)を送り、ドイツの支持のもとにセルビアに宣戦布告し、セルビアを支援するロシアの動員令を招いた。
オーストリア・ハンガリー・南スラブ三重帝国を主張する大公と大セルビア主義との対抗関係などが戦争責任論との関連で論じられてきたが、最近では、暗殺者の所属したボスニア独自の非大セルビア主義的運動も注目されている。
元々、セルビアはオーストリア=ハンガリー帝国と親しい関係を保っていたのだが、1903年にセルビア軍士官がクーデターを起こし国王を暗殺してしまい、その後の新王朝は民族主義的な上に親露的でハプスブルク家(オーストリア王朝)と不仲になっていた。そういった最中でセルビア国内でフェルディナント大公が暗殺されてしまい、ブチギレたフランツヨーゼフ1世(オーストリア君主)が開戦に踏み切ったという経緯がある。
暗殺事件が起きた1914年6月28日、大公らはセルビア市長らと共に6台の車列に分乗してセルビア市庁舎に向かっていた。途上で爆弾が投げつけられたものの、大公の車の幌に跳ね返され爆弾は落下し、後続車を破壊。20名ほどの負傷者を出すが暗殺は失敗に終わった。その後、市庁舎でスピーチを行った大公らは車で帰る途上、道を間違えて車が停止した。その時、ちょうどプリンツィプという男が立っており、彼は至近距離から大公と妻ゾフィーに発砲した。
さて、大公が乗っていたオープンカーは現在も歴史の証人として保存されている。
この車の後部座席にフェルディナント大公夫妻が乗っていた。そしてこの車に向け銃弾が発射され、1000万人近い戦死者を出した第一次世界大戦の引き金となってしまった。
20世紀は戦争の歴史である。第一次世界大戦の後も植民地紛争やナチスの台頭、日中戦争、ポーランド侵攻、ユダヤ人虐殺、太平洋戦争、原爆投下、朝鮮戦争、ベトナム戦争、文化大革命、ポルポト政権、中東戦争、パレスチナ問題、湾岸戦争、ボスニアヘルツェゴビナ紛争、世紀の終わりになっても戦争が続き、21世紀になった途端に世界同時多発テロ事件が起きてイラク戦争が始まった。しかし、NHK・ABC共同制作の「映像の世紀」でも語られているが、第一次世界大戦前の欧州は平和な世界で、各国は君主制の中で産業革命でもたらされた新世界を楽しんでいた。1903年にはライト兄弟が人類で初めて飛行機による飛行に成功してからは上流階級はもっぱら「空」に夢中になり、気球や飛行船に夢中になっていたし、富裕層の民間人が船で世界を旅し始めた時代でもあった。平和な世界が青年が発射した数発の銃弾で世界が変わってしまったのは歴史の悲劇だが、暗殺犯にも他国の君主に自国の民族を支配されることへの反発や正義感があったのかもしれない。
暗殺グループが所持していた3丁の拳銃は近年発見されたようで、このうちのどれかが実際に暗殺に使用されたらしい。
大公と共に暗殺されたゾフィー妃の私物。見えにくいがレースには血痕が残っている。
第一次世界大戦は兵器を劇的に発展させた。機関銃、毒ガス、戦車が登場し、大砲は巨大化していった。これはオーストリア=ハンガリー帝国が1916年に実戦投入した38cm榴弾砲。戦艦並みの巨砲を陸上で使用していた。
ミサイルがポーランドに着弾し、今日は世界がキューバ危機さながらの様相を呈している。私は先週まで癌の皮膚移植で入院していた退院直後で休職中で、昨晩はゲームで夜更かししてしまい寝坊して昼前に起きたのだが目が覚めたら世界が大変なことになっていた。
今回のポーランドへのミサイル着弾は、ロシア製なのかまだハッキリしていないが、ロシア製だったとしても、プーチンの命令によるものではなくロシア軍部内の強硬派による独断だった可能性もある。満州事変や盧溝橋事件のような、戦争拡大を謀る軍部の陰謀はあり得る。ロシア軍が大苦戦しているのにNATOによるウクライナへの大規模な軍事支援を招きかねないような行為をプーチンがするとは思えない。ベラルーシが絡んでいるんじゃないかといった情報や、ウクライナの迎撃ミスなんて話もあるし、ミサイルの精度が低くて意図せずに国境を超えたのかもしれない。真相はまだわからないのだが、Twitterは相変わらず「自称専門家」で溢れていて正確な情報がよくわからない。
憲法9条支持者の典型的な無抵抗主義や軍事力放棄といった主張には同意しないが、逆に右翼の過激な言動にも反吐が出ると思っている。国民が必要としているのは冷静で合理的で、決断できるリーダーだ。
検討ばかりしている首相や、花見しながら選挙区に賄賂ばらまいてる首相や、政策を立案するごとに電通に税金を中抜きさせてる首相やら、中国の言いなりだった左翼政権ではない。拝金主義者ではなく、愛国心に満ちた首相は日本にいないものだろうか。
いずれにしろ、100年前の人類がサラエボの暗殺事件の対応で大失敗したことを今こそ省みて、米露両国にはキューバ危機当時のような冷静な対応と平和な帰結を願うばかりだ。
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2015年にセルビア首都ベオグラードに暗殺犯プリンツィプの銅像が建てられた。
「プリンツィプは英雄であり、ヨーロッパにおける暴君、殺人者による奴隷支配からの解放の象徴である」
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正義は一つではないし、何が正義かは一人一人が歴史を振り返って考えるしかない。
今回のポーランドの問題は、世界史を振り返る良い機会かもしれません。
今回亡くなられた2名の方のご冥福をお祈りします。