北海道旅DAY⑤ 〜「幸福になれると思うな。」〜
大晦日の朝。私は帯広駅前にいた。
今日の旅は少し違う。鉄道ではなく、車を借りたのだ。
帯広から30分ほど車を走らせて、目的地に着いた。
恐らくここは、日本で1番有名な廃駅だろう。
古いキハが2輌と事業用のラッセル車が保存されていた。
「幸福になれると思うな」という言葉が俺の座右の銘なのだが、有名な廃駅となれば訪れるしかない。
駅舎内は開放されていたが、内側は人間の汚い欲望に汚染されていて、非常に不愉快であった。旅で訪れた場所に、訪れたこと示す痕跡を残さずにいられない人種は一種の精神病ではないか。自己愛主義の権化だ。古い木造のお寺や神社に、観光客が彫った名前や年月が残されているが、あれは彫った人間の劣等な生き方、恥の痕跡を後世に残す愚行であり「異常」としか言いようがない。
もしかしたら昭和の時代、そうした行為はありきたりで一般な行為だったのかも知れない。しかし、マトモな神経の人間だったら歴史的な建造物に傷をつけるなどということは決してできないだろう。張り物をしたり小銭を投げることすら躊躇する。平成で生まれ育った私達が恋焦がれる「昭和」という時代は、空想上のファンタジーなのかも知れない。実際は恋焦がれる空想よりも下品で、異常で、不潔な時代だったのだろう。
開放されていて車内に入れると事前に聞いていたが、入口のドアには「感染対策の為、当面閉鎖」と張り紙が貼られていた。
昨今の観光名所に散見されるのだが、開放することにどれほどの感染リスクがあり、閉鎖することでどれほどの感染対策の効果が認められるのか教えてほしい。
この車輌を閉鎖するなら、初詣の三が日は北海道の社寺を全て閉鎖しろと言いたい。
再び車を走らせて20分ほど、次の目的地。
愛国駅だ。
「愛国」「幸福」という名の開拓団の名前がそのまま部落名となり、駅名となったそうだ。
過酷な環境下に置かれた開拓団が、自分達に自信をつけ団結力を深める為に素敵な名前をつけたのではないだろうか。それが後世に残され、開拓の100年後、私のような子孫が旅で訪れることとなる。私は美しいと思った。
運賃表が掲げられていた。
東京都区内まで8400円。
愛国駅から東京都に鉄道で行く人が居たのかは謎だが、東京駅という行き先がなく、「上野駅」なのが時代を感じさせられる。上野駅が東京の北玄関だった時代なのだ。
駅前には車掌車が放置されていた。昔、待合室として使ったのだろう。
写真の右上にサイン色紙が並んでいるのだが、中には「石原軍団」と書かれたものもあった。サインの扱いが雑すぎではないか?
スマホの地図に「愛国神社」というものがあったので、何となく来てみた。用事はない。
何もないつまらない神社だ、なんて思ったら、鳥居の左側に古そうな石碑がある。神社の造営記念碑だ。裏側には「昭和12年」と彫られていた。神社に来る楽しみの一つは戦前の石碑が見れること。戦前の石碑の細かな装飾は、天皇の皇威や帝国の威容に溢れていて美しい。
昼前には帯広駅に戻り、列車に乗車した。
根室本線で釧路に向かう。
帯広という内陸部から海沿いの街、釧路に抜けていくので、車窓も内陸の景色が少しずつ海辺の景色へと移り変わっていき、良き鉄道旅となった。
釧路の少し手前で、行き違いの為に尺別信号場というところに停車したのだが、ここがとても風情のある廃駅だった。2019年までは尺別駅として現役だったらしい。
どう思うだろうか。
この旅を通じて多くの駅と通り過ぎてきたが、この旧尺別駅舎ほど印象に残った駅はない。
後ろはすぐ海。
調べてみると、戦前から戦後にかけては炭鉱への分岐線があったり、それなりの集落だったようだが、今や数軒の廃屋しか見えない。車もまったく通らなかった。
近くには10年前に公開された「ハナミズキ」のロケセットが残されているそうだ(興味なし)。
尺別駅のように、100年前に多くの犠牲者を出しながら開拓された北海道の大多数の集落の多くは、積雪や台風という大自然の力によって土に還ろうとしている。いや、その多くが既に土に還ってしまった。それでいいのだ。「永遠の命」なんてものを大自然は許容しない。生まれ、死に、再び生まれ、繁栄と没落は輪廻してゆくのだ。
釧路駅。長いホームが数本あり、今も運用されている。
かつては蒸気機関車が牽引する長編成の優等列車がひっきりなしに入線し、側線は貨車で溢れ、入れ替えの機関車がひっきり無しに動いていたのだろう。駅前に佇む一軸の動輪が、かつての釧路の栄華を平成生まれの私に無言で語りかけていた。
昨日の帯広の旅がハードだったし、大晦日ということもあって、夕方4時すぎには投宿してしまった。
どこかで美味しい夕飯を食べたかったが、大晦日と元日に開いてる店なんてない。
開いてて良かった俺達のLAWSON。
やはり俺は、薄汚い東京の人間だ。
北海道DAY④ 〜旭川9時半乗車、帯広18時下車〜
風の道を辿って、旅は始まる。
忘れていた夢に出会い、見知らぬ刻(とき)に触れる。
私の旅は、終わりのない旅かもしれない。
風の道が、私の道。
麦100%。大分むぎ焼酎、二階堂。
某有名CMから引用させて貰った訳だが、今日はマジで疲れた。自分で望んだ旅程なのだが。。
朝9時半の旭川駅。
今日の最終目的地は帯広。
とりあえず富良野本線に乗り、終着の富良野駅で根室本線に乗り換える必要があった。
11時前に富良野駅に到着。
さてここから問題だった。
乗り換えまで約3時間の空き時間があるのだ。
一般人なら暇で卒倒するが、ベトナムで35時間の列車旅を経験した俺には何ともない。
しかし、何かをして時間を潰さないとならない訳だが、まもなく昼食の時間。オムカレーを食べよう。
前日、ツイッターで富良野のオススメをフォロワーさんが教えてくださっていた。
富良野はオムカレーが有名なので、もし昼飯を富良野で食べるならここもオススメhttps://t.co/zwCCJEri3n
— おでん (@oden_oishii) 2021年12月28日
唯我独尊
駅から歩いていける距離
私はあえて調べなかった。今回は一切、事前に検索をかけなかった。
その方が面白いと思ったからだ。
少し街を散策して、お店を訪ねてみた。
「満席で既に2組お待ちですが如何しますか?」
「え、じゃあいいです...(小声)」
もう満席なのか...
よほど有名なのか、駐車場には札幌ナンバーが数台駐まっている。
カレー食べたかったな..
仕方ない。別のお店でオムカレーを食べよう。そうしよう。
「笑楽亭」というお店に入ってみた。
割と店内の内装が新し目の、綺麗なお店だ。
店の名前通り、めっっっちゃ愛想の良い御夫婦(?)が切り盛りされていた。
で、出てきたのがこれです。
ええやん!凄くいい!
これはオムカレーのランチセットで1100円!
「オムカレー」ってこういうことか。なるほどね。
富良野産の小さい瓶牛乳が観光客の自分には嬉しいオマケ。
チーズとカレー、ご飯をうまくスプーンに乗せ、パクッと口に入れる。
んんんんんんんんん
うぅッんっまい!
口の中で全てが蕩けていく。。
少しだけかかったチーズが濃すぎず薄すぎず、オムレツとカレーの組み合わせを引き立ててくれている。
最高やんけ。
富良野、最高やんけ。
なんで駅前ガラガラなんだ。
こんないい街なのに。
このお店の隣に、先程のフォロワーさんのもう一つのオススメがある。
JR富良野駅なら歩いていける範囲で一番いいのはふらのマルシェかなhttps://t.co/YQSZEsTe4Q
— おでん (@oden_oishii) 2021年12月28日
飲食店の集合体
ここの向かいにあるバームクーヘン屋も旨いhttps://t.co/1fj2RgsNmM
自然を見たいならタクシー使うけどカンパーナ六花亭もいいと思うhttps://t.co/Glc3KBGJ6I
ふらのマルシェ?
これは少し事前に調べたのだが、どうやら御土産屋さんらしい。
「これはいい。時間潰せるぞ。」
フォロワーさんに圧倒的感謝!!
店内はフードコートみたいなエリアと、御土産品エリア、喫茶エリアみたいな感じで3棟に分かれていた。
当然、御土産エリアに行く。オムカレー食ったばっかりだし。
※ここで買った御土産は、帯広でこのブログを執筆しながら私の血と骨になっております。ナチュラルチーズの程よい酸味と柔らかい食感がクリーミーで富良野市民に「ありがとう」の気持ちしかない。
ふらのマルシェで買い物をしたので(飽きたので)、次の目的地へ。
富良野神社である。
ここはふらのマルシェの近所だったので、何となく寄り道。
元日の準備が始まっていた。
まあそれはいいとして、まだ2時間も時間が残っている。暇だ。
地図を見てみると近くに川が流れているようだったので、富良野市役所の前を通り抜けて歩き続けた。
北海道はいちいちスケールがデカすぎてリアクションに疲れてくるな。
なんなんですかこの絶景は。
晴れていればもっと美しかったのだろう。
富良野駅からここまで歩いた者だけが見ることのできる景色だ。
千と千尋の神隠しで、川の神様のハクとかいうリア充がいたが、こういう川を見ると、本当に美しい川には神が宿るような気がしてくる。
2時間ほど富良野の街を散策し、駅に戻ってきた。
ありがとう富良野。君を忘れない。
東鹿越まで行き、そこから先は数年前の台風の影響で未だに不通となっているので代行バスに乗り換える必要がある。
面倒くさいじゃん。
どうせそのバスも待つんでしょう?で、乗車したらなかなか発車しないんでしょう?
バスを降りたら次の列車も待つんでしょう?で、乗車したらなかなか発車しないんでしょう?
※やはりその通りになりました。
1時間足らずで東鹿越に着いた。
立派なバスが来てホッとした。
ここからバスで狩勝峠を越えていくこととなる。
代行バスなので不通区間の線路沿いを走っていく訳だが、幾寅駅に停車した際、バスの車窓から「ぽっぽや」に使われた幌舞駅のセットを見ることができた。
代行バスだからこそ見れた景色で、損したような得したような不思議な気分だ。
で、こんな感じで午後6時前に帯広へ着き、ホテルへ向かい、そのまま回転寿司に行き、生牡蠣を食べてホクホクの気分でホテルへ帰ろうと思ったらバスがなくて3km歩いてホテルまで帰ってきた次第です。
何か面白いことを書くにも、一日中列車に揺られていただけなので特筆すべきことがありません。
マジで疲れた。
北海道DAY③ 〜旭山動物園、孤独のかすみん〜
朝起きるやん?
開園時間に合わせてホテル出て、バス乗るやん?
9時半前に旭山動物園に着くやん?
閉まってる訳ですよ。今は冬期営業で10時半開園だから。
勘違いして、夏期開園時間の9時半に合わせて来園しちゃったんですよ。
もうね、ほんとね、アホかと思ったね。
私は「丁寧な旅」をしたいので、ベンチで開園を待とうとか、1番乗りする為に入場口に並んでようとか、そういうことはしない。ではどうしたか?
....勘のいい読者の御賢察通り、いつもの「放浪」が始まったのだ。
旭山動物園から米飯川に向かって歩いてみたのだが、美しい景色に恵まれすぎている。ボーッと景色を眺めていた。
3、40分散策して動物園の入場口に戻ってくると、とんでもない行列ができている。許せない。安倍政権が悪い。
問.一番乗りにも関わらず行列の最後尾に並ぶ私の気持ちを述べよ。(配点100)
開園時刻の10時半すぎに無事入場。11時からは例のアレが始まるので、皆、ペンギンがいる方向へ向かっていく。
旭山動物園名物のペンギンの散歩。これほど間近でペンギンを見るのは初めてで貴重な経験だった。もうペンギンが目の前に来るのよ。距離が1mもない。ペンギンの毛並みとか、瞳とか、至近距離で観察できる。目の前をペタペタ歩いていく。
至近距離で見れるというとホッキョクグマも凄いんだ。
近すぎでは???
横を振り向いたらシロクマがいてビックリしたぞ。驚かすなよお前。
シロクマとお別れするとホッキョクギツネが現れた。かわいい。ポケモンみたいにモンスターボール投げたらGETできないかな。できるかな?できるよな?これで俺もポケモンマスター。
旭山動物園は、飼育している動物の種類は少ない気がしたが、その変わり北海道固有の動物が沢山いる。
旭山動物園といったら、テレビでよく見るこれ。
ただ、本気でビビったのはアザラシなんかじゃなかった。
でけえ。
カバが泳いでる。。。
どいうことだ。。
すげえ。。
魔物か???
後ろ姿、鈍臭くて草。
旭山動物園はアザラシやカバのように、展示方法を工夫しているのが面白い。
面白いといえばこれ。
何の変哲もないヒョウ。
真下から見れるのである。。
この状態でウンコされたらどうなるんだろう。。
午後2時前には見終わって動物園を出たのだが、この時、自分は大きな問題を抱えていた。
昼飯を食べてないのだ。
園内の食堂はどこも満席で長い行列ができている。入店できない。日本人は馬鹿なのか?なぜそこまで行列に並びたがるのか。同調圧力の権化か?退園した後、市内で飯を食えばいいじゃないか。地元民はどうせ車だろ?園内で冷凍のホットドッグや店員が調理しただけのインスタント製のラーメンを食べることにそれ程の価値があるのか?お前らのせいで俺が昼飯を食べられないんだ。安倍政権が悪い。
仕方がないので昼飯を我慢してバスに乗り、北海道護国神社へお参り。
北の大地の粉雪が鳥居に降り積り、神域を一層神々しく昇華させていた。
お参りも済み、飯を食べることにした。
旭川だ。昨日は回転寿司に行ったし、今日はラーメンでいいだろう。
動物園の温度計はマイナス2度だった。
ヒートテックを着込んでいるとは言え、やはり寒いんだ。特に手が凍える。激アツなラーメンが食いたい。身体を芯から温めるスープ。「アブラ」「麺」「豚」を貪り我が血と肉に変貌させるのだ。命を頂き我が命とするのだ。ラーメンを食べるのは神聖な宗教的儀式と言っても過言ではない。事前の情報収集で全てが決まる。そこには妥協も油断も許されない。
御用達のラーメンデータベースでちゃちゃっと検索し、獲物を決めた。
私の問い掛けに対する答えは、市内の小綺麗な繁華街の裏路地に存在していた。
事前にリサーチしていた「醤油ラーメン」に「煮卵」を追加。
注文はハッキリと言うのが礼儀だ。
「ラードはどうしますか?」と聞かれる。
事前情報によればこの店は焦がしラードが引き立てる醤油スープの味が有名で、そのラードを濃いめにするか普通にするかを俺に聞いているんだ(激怒)(焦)(歓喜)
「普通で」
マスク越しにハッキリと答えた。
元ジロリアンとは言え、ラードを濃くすることで店主が研究を重ねた醤油スープの味が損なわれることを危惧したのだ。
注文してから数分で着丼した。早い。
Love.......
これが「愛」なんだね......
最高だよ。
レンゲでスープを一口飲んでみる。
Oh........
スープにコカインでも入ってんじゃねえのか?
めっちゃ美味いぞ。
焦がしラードの風味が醤油を引き立てている。
今まであまり食べたことのないタイプの醤油ラーメンだ。
麺は細麺。豚はホロホロのタイプだ。これがまた濃いベースの醤油スープと合う。
メンマとネギがちょい多めなのがいい。
濃いスープを味わう中で適度に食べるメンマとネギが、寿司でいうガリの役割を果たしてくれている。
麺→スープ→ネギorメンマ→スープ→麺→豚
こんなループを宗教的に繰り返しているうちに麺がなくなってしまった。
なんだもう終わりか。がっかりだ。
もっと食べたかったのに。
しかし私は忘れていなかった。
煮卵が残っているのだ。
ちょっとだけ齧る。半熟だ。次は丸ごと口に入れて素早くスープを流し込む。
口の中で漂う焦がしラードの香り、スープ、半熟の黄身トロットロのやつ。
完食した丼の前で讃美歌を歌いたい気持ちを押し殺し、お会計。900円。このクオリティなら安い。
颯爽と店を出て駅に向かったが、お店に忘れ物をして数分後に店に舞い戻った。
こうして今日も何気ない旅が終わっていく。
長くも短い一日。
明日はどんな一日になるだろう。
そんなことを思いながら、旭川のネオンの中を歩く。
きっと良い一日になるだろう。
北海道DAY② 〜冬期鉄道旅の宿命〜
ビジネスホテルの安っぽいバイキングを食し、旅装を整えて出立。
この日は北見経由で旭川へ向かうのだ。5時間の鉄道旅。
ホームを覗くと既に石北本線が待機していた。
緑と青だった。
車体に描かれた路線を示す緑色と青色の帯が俺は好きだと言ってるんだ(怒)(焦)(歓喜)
車体には雪化粧。静謐が漂う。
自販機で買った水は少し凍っていて、後ろの車窓と相俟って、美しいと思った。
なぜ鉄道旅をしたいのだろう。こんな旅に意味はあるのだろうか。そもそもこれは「旅」ではなく「移動」ではないのか?自問自答したところで、自分はやはり、こうやって、ある程度の旅程を立てただけの、孤独な、誰との会話もない、静かな旅が好きだ。旅とは移動なのではないか?その目的地に向かう道程を楽しむことは間違っているのだろうか。戦前に書いた太宰治の富嶽百景や津軽、佐渡、そういった旅小説に影響を受けすぎたのかも知れない。しかし太宰の小説には他人があった。俺の旅には他人がない。
「国鉄型」と俗に呼ばれる古き鋼鉄車にロマンを感じるのは不思議なことではなかろう。
頑丈な車体、垂直の硬い座席。金属製の手すりは冷たい。ディーゼルの音はやかましいし、席間も狭く感じる。USB充電器備え付けなんて発想はない。
しかしながら、私は、鉄道だろうと建築だろうと、中高生がiPhoneやapple watchを使いこなしている令和の現代に取り残されてしまっている昭和の遺骨に魅力を感じてしまうのだ。多くの土地から姿を消した過去の思い出がまだ雪国には生き残っている。タイムスリップしたように。
(この頃はまだ)太陽の光が雪原に反射し、とても幻想的だ。電車に揺られ眠たくなってきた頃に北見駅に到着。
なんだこいつ。スマホで乗換検索した時は「特別快速」って書いてあったぞ。このチョロQみたいな気動車で常紋峠と北見峠を越える気か?正気か?
意外に混み合い、ほぼ満席の状態で北見を発った。工事中に人柱が発掘された常紋トンネルを抜け、難所である北見峠に向かっていく訳だが、北見峠に近づくにつれ、車窓の景色がおかしくなっていく。
数分遅れで旭川駅に着いた。5時間の鉄道旅といっても、雪景色を永遠と眺めていただけだから思い出もクソもない。それでいいんだ。雪が降っていないのに粉雪が舞って遠くが見えない。窓を手で触ると冷たい。後ろに座ってる女の子は暇すぎて死んだ目をしているし、隣の席の学生はずっと時刻表を見ている。前の席の老人はずっと眠っている。そんな記憶だけがずっと残ればいい。
そのまま旭川駅を出て、何となく街を散策してみる。目的地はない。初めて行く場所は、とりあえず、意味もなく街を歩いてみるのが大切だと思っている。その土地の生活を見たいのだ。これは海外を1人で旅する時も同じだ。地元の商店街を歩いてみたが、余りにも寂れていて逆に辛くなってしまい、早々と退散した。街は少しずつだが、確実に死に向かっている。まるで俺の癌のようだ。
投宿し、大浴場に浸かり、牛乳を飲みながらスマホを見ていたところで事件が起きた。
スマホでJRの運行情報を確認したら、翌日に乗車予定の留萌本線が、明日の夕方まで運転見合わせとなっているのである(今日も運転見合わせ)。オワッタ。ドカ雪のせいだ。日本海側だから豪雪の影響を受けると思って警戒していたのだが、予想通りになった。しかし俺は動じない。
留萌のホテル代を損切り、投宿した旭川のホテルに頼み一泊追加した。問題なのは明後日で、明後日は特急を使い留萌から札幌経由で帯広に抜ける旅程を立てていたのだ。すでに特急券も手配して手元にある訳だが、これはみどりの窓口で払い戻した。札幌から西側は雪の影響をモロに受けているから、札幌経由はリスクがある気がした。積雪で運休したら終わる。。
現在の予定として、明後日は旭川駅から富良野を抜けて東鹿越まで行き、代行バスで(数年前の台風により東鹿越、新得間の線路は未だに不通)新得へ行き、そこから鉄道で帯広へ抜けるつもりだ。これは6時間の鬼ルートだがやむを得まい。もしこのルートが積雪で死んでも、旭川からなら高速バスで帯広に向かう保険がある。留萌にはそれがないのだ。多少お金を損しても、旭川から動くべきではない。
明後日の事は何も考えない。明日は明日の風が吹く。理想の旅人とは結局のところ、寅さんなのではないだろうか。
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汽車の行方は、志士に任せよ。「待つ」という言葉が、いきなり特筆大書で、額に光った。何を待つやら、私は知らぬ。けれども、これは尊い言葉だ。唖の鴎は、沖をさまよい、そう思いつつ、けれども無言で、さまよいつづける。
鴎 / 太宰治
生まれて初めて北海道にきた 〜末期癌告知から旅へ〜
末期癌と言われた。今年の11月のことだった。
定期検査でPETを撮って、「9月に退院したばっかだし何もねーだろ」と早く家に帰りたい気持ちしかなかった。早く帰ってゲームやりたい。SKEの劇場公演の配信も観たい。
院内PHSが鳴り病室に入って、もう、入室してすぐわかる。
先生のPCに撮影画像映されてるし。肺の一部分に異常を示す黒丸書かれてるし。
他臓器に転移したということはステージ4。
「それって末期癌ってことですか?」って主治医に聞いたら
「ステージ4だからそういうことになりますね」って。
その後数日は仕事中も呆然としてた。
気持ちに折り合いつけられないじゃん?
でもさ、今年さ、2回入院して、1回手術して、3週間毎日1日中抗生剤の点滴打ち続けて、通院で43回放射線治療やって、職場で国家資格2つ取ったし、俺さ、だいぶ頑張ったと思わん?
医療費も馬鹿みたいにかかった。医療費を決済し続けたクレカのJALマイルは3万マイルに近づいている。ハワイまで片道タダで行けるじゃねえか!
自分に御褒美あげてもよくない?
スマホでオミクロン株のニュースを見ながら俺は思った。
「そうだ、北海道へ行こう。」
マスコミに贈収賄が発覚した保守系政治家がいつの間にか入院してマスコミから逃げ切るような光の速さで航空券を予約し、ホテルを確保し、青春18きっぷを買った。
青春18きっぷを買うのは初めてだ。約1万2千円払えば5日間、JR全線の普通快速自由席なら乗り放題。魔法だ。
駅の券売機に1万2千円入れたらお釣りが出てこない。なぜだろう?やはり魔法だ。
そして昨日、仕事を颯爽と納め、秒でタイムカードを切り、一晩で旅装を整えて今朝、羽田に向かった。
保安検査場を抜け、椅子に座りながら朝焼けに照らされる鶴丸の機体を眺めていると、空港で誰かが俺を呼んでる。
アナウンスだ。大音量だ。羽田第1ターミナルに響き渡っている。俺の名前をフルネームで呼びやがる。恥ずかしい。やめろ。〜様と呼んでるから許してやる。
「俺は客だ。俺の方が偉いんだ。」と心の中で念仏を唱えながら呼び出された搭乗口へ向かい、預け荷物にリチウムバッテリー(急速充電器)を入れてしまったことを平謝りし、バッテリーを受け取って何食わぬ顔で機内に搭乗した。なぜ鞄を開けずに荷物の中身がわかるんだ?やはり魔法だ。
上空から見た女満別は一面の雪景色。何もねえ。
空港路線バスから網走監獄へ向かうバスの車窓は一面の雪景色。何もねえ。
昼飯に訪ねた網走市内のラーメン屋は店主のお婆ちゃんが客のオバちゃんとお喋りしながら作ってんだけど、お婆ちゃん逹の唾が沢山入ってそうな味噌ラーメンがめっちゃ美味かった。お婆ちゃん1人で切り盛りしてるのにお客さんがそれなりに入っているのも納得の味。焼豚が最高なのよ。厚みがあるんだけど、肉の風味が「肉ッ」って感じで。700円とは思えない。魔法だ。
オホーツク海は大荒れ。我々は海神の怒りに触れたようだ。
駅前のトレンタくんで借りた車で行ったサロマ湖は凍りついていた。都会育ちの俺にはなぜ広大な湖が凍っているのか理解できなかったが、これも何かの魔法なのだろう。
雪の中のドライブもスタッドレスタイヤのお陰で快適。魔法だ。大雪なのに車が滑らない。
あちこち意味もなく寄り道してしまった。
夕方の網走駅は大雪で美しいが、その風情を小太りの撮り鉄共がいい感じにぶち壊していた。魔法で撮り鉄を排除したい。
妹にLINEで写真を送ったら
「なんで灰色の景色ばかりなの?楽しいの?」と聞かれた。
此奴は何も理解していない。
上記で証明されたように、網走は魔法の国だ。
つまり網走はディズニーランドだ。
網走市内
網走監獄。戦時中に脱獄に成功した囚人がいたらしい。魔法だ。
サロマ湖。この美しさは魔法だ。
オホーツクの美しさに魅せられてしまった。
明日は旭川へ向かう。
旅は始まったばかりなのだ。
旅の疲れか癌原発の右脚がめちゃんこ痛い。処方された痛み止めの麻薬3回キメて少し楽になった。
天人五衰
2/3月曜に2度目の手術をした。
リンパ節郭清。
局所麻酔で意識がある状態で手術した。
手術数日後、MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)という感染症に罹っていることがわかり、院内感染委員会の指示で個室に移動された。
最初は個室の入院費用が心配だったが、婦長さんに確認したところ、病院都合の移動のために差額無料と言われ安心した。
MRSAの個室移動は自分の為というよりかは、看護師を媒介して他の免疫力の低下した患者に感染させないようにする為だとハッキリ言われた。
MRSAを治す為に副作用が起きやすい点滴を数日打ったんだけど、初回は速攻で副作用が起きて、全身の痒みが止まらず散々だった。
その後はリハビリの日々。
2/17に退院。
その後は経過観察で通院を繰り返している。
退院翌週に抜糸。
3月は上旬と下旬に通院しリンパケア等の経過観察をした。
明後日にPET-CTを受けて経過観察をする。
5月上旬から再び原発付近に痛みを感じていて、転移しているんじゃないかと心配している。
ブログは退院後、書けなくなった。
入院中のことは思い出したくない。
最初は記録のつもりでこのブログを始めたんだけど、書かなければよかった。
20代なのに、ほぼ同い年の女の子(看護師)の助けがないと一切何もできない。
男性としてその悔しさというか、屈辱感というか情けなさというか恥というか、ただそこに物凄い感謝の気持ちがあって、複雑で、どう言葉にしたらよいかわからない。
職場に関しても、複数の労働組合があるのだが、その中でも一番信頼のおける(=会社とバッチバチな)組合で活動させて頂いていたのだが、組合は勿論、営業所の職員の方々も傷病手当や高額療養費のサポートを積極的にしてくれたし、シフトも融通を利かせてくれた。所長はお見舞いにきてくれたし、組合の幹部もお見舞いにきてくれた。ただただ、情けない。営業所の職員も会社と敵対する組合員のことなんて助けたくないのが本音じゃないか?僕はそう思う。けれど助けてくれたし、本当に情けなく恥ずかしくなった。
この病気に罹って、自分自身で、自分自身の本当の姿を直視したし、その自分自身の姿はとても情けなく、恥ずかしいものだった。
自分の体が弱いのは薄々気づいていた。
特に2018年の後半くらいから、少しずつおかしくなっているのは気づいてた。
発熱する頻度は増えたし、2019年の夏以降はとても疲れやすくなって、右足はなんかしんないけど痛いし、平熱は37°のまま下がらないし、夜勤職をしているけれど、朝は全く仕事にならなくなった。仮眠したらもう目覚ましをかけても起きれない。もっと早く病院に行くべきだった。自分の若さを過信しすぎた。
通院している癌研の資料では、希少癌である類上皮肉腫の症例患者は約20例程度しかなく、5年後の生存率約75%。
他のネット記事を読む限り、10年後の生存率55-60%。
将来、いつかは原発である右足の切断をするんじゃないかと心配しているけれど、覚悟はしている。
原発腫瘍2cm以上だと、予後不良(転移再発)の確率が高くなると記事を見た。自分の原発は2cm程度ある。
今日は少し贅沢をして、梅雨に入る前に、MINIのクロスオーバーを借りて伊豆に一人でドライブに行った。仁科峠の西天城高原からの絶景が昔から好きで、隼(バイク)を所有していた時はよく伊豆に行っていた。今日、初めて黄金崎で三島由紀夫の文学碑を見た。ちょうど今、三島由紀夫の豊穣の海の第二巻を読んでいて、タイムリーだった。山中湖の三島由紀夫文学館に昔2回行っているけれど、時間があるなら今年再訪したい。
僕は「言葉が命」であるなら「本には神が宿る」と考えていて、本に神が宿るならその装丁は美しくあるべきだと思う。その考え方は三島由紀夫から学んだところが大きい。三島は初版本の装丁にはとてもこだわっていて、実際、本当に美しい。そういった理由で、大衆作家にありがちな安っぽい装丁の新刊本は、どんなに有名な作家の本であっても指で触れることにすら嫌悪感を覚える。
「金閣寺」や「仮面の告白」の初版はプレミアがついていてとても買えないが、数年前、たまたまオークションで豊穣の海の初版装丁を全4巻安く買えた。安いと言っても1万以上したと思う。最高に美しい。過去に300冊は本を読んだが、過去に所有した本の中でも、その装丁は最も美しい。
豊穣の海の最終稿を書き終えた当日に三島由紀夫は市ヶ谷の自衛隊駐屯地に乱入し、三島事件を起こし、切腹している。豊穣の海は第3巻までしか読まないつもりでいる。最終の第4巻は自分が人生の最後に読む本にする。4巻のラストだけはネタバレで知ってしまっているのだけれど、ラストがとても好きで、今後の自分の病気の経過を鑑みて、最期を覚悟する日まで4巻は開かない。
『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の全4巻から成る。20歳で死ぬ若者が、次の巻の主人公に輪廻転生してゆくという流れとなり、仏教の唯識思想、神道の一霊四魂説(人の魂は四度輪廻する考え)の影響が強い。その中に三島由紀夫が生涯葛藤した226事件の反乱将校、神と人(戦前の天皇と国民の関係)、宮中某重大事件、血盟団事件、そして敗戦の日の強い夏の陽射しの情景の要素が織り込まれている。
三島は最終の4巻「天人五衰」の取材の為に駿河湾(清水港)を訪れている。
だから今日、駿河湾が一望できる西天城へ行った。
入院中の話は今後一切しない。
個室から見えた美しい夜景と、毎晩響き渡る点滴の輸液ポンプの警報音を一生忘れない。