The Last Detail

旅と治療の記録。

北海道DAY② 〜冬期鉄道旅の宿命〜

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ビジネスホテルの安っぽいバイキングを食し、旅装を整えて出立。

この日は北見経由で旭川へ向かうのだ。5時間の鉄道旅。

ホームを覗くと既に石北本線が待機していた。

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緑と青だった。

車体に描かれた路線を示す緑色と青色の帯が俺は好きだと言ってるんだ(怒)(焦)(歓喜

 

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車体には雪化粧。静謐が漂う。

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自販機で買った水は少し凍っていて、後ろの車窓と相俟って、美しいと思った。

 

なぜ鉄道旅をしたいのだろう。こんな旅に意味はあるのだろうか。そもそもこれは「旅」ではなく「移動」ではないのか?自問自答したところで、自分はやはり、こうやって、ある程度の旅程を立てただけの、孤独な、誰との会話もない、静かな旅が好きだ。旅とは移動なのではないか?その目的地に向かう道程を楽しむことは間違っているのだろうか。戦前に書いた太宰治富嶽百景津軽佐渡、そういった旅小説に影響を受けすぎたのかも知れない。しかし太宰の小説には他人があった。俺の旅には他人がない。

 

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国鉄型」と俗に呼ばれる古き鋼鉄車にロマンを感じるのは不思議なことではなかろう。

頑丈な車体、垂直の硬い座席。金属製の手すりは冷たい。ディーゼルの音はやかましいし、席間も狭く感じる。USB充電器備え付けなんて発想はない。

しかしながら、私は、鉄道だろうと建築だろうと、中高生がiPhoneapple watchを使いこなしている令和の現代に取り残されてしまっている昭和の遺骨に魅力を感じてしまうのだ。多くの土地から姿を消した過去の思い出がまだ雪国には生き残っている。タイムスリップしたように。

 

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車窓

(この頃はまだ)太陽の光が雪原に反射し、とても幻想的だ。電車に揺られ眠たくなってきた頃に北見駅に到着。

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跨線橋を渡る。

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快速 きたみに乗車

なんだこいつ。スマホで乗換検索した時は「特別快速」って書いてあったぞ。このチョロQみたいな気動車で常紋峠と北見峠を越える気か?正気か?

意外に混み合い、ほぼ満席の状態で北見を発った。工事中に人柱が発掘された常紋トンネルを抜け、難所である北見峠に向かっていく訳だが、北見峠に近づくにつれ、車窓の景色がおかしくなっていく。

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少しずつ不穏な雰囲気に。

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どんどん不穏な雰囲気に。

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単線なので何度も行き違いの為に停車をした。

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数分遅れで旭川駅に着いた。5時間の鉄道旅といっても、雪景色を永遠と眺めていただけだから思い出もクソもない。それでいいんだ。雪が降っていないのに粉雪が舞って遠くが見えない。窓を手で触ると冷たい。後ろに座ってる女の子は暇すぎて死んだ目をしているし、隣の席の学生はずっと時刻表を見ている。前の席の老人はずっと眠っている。そんな記憶だけがずっと残ればいい。

 

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そのまま旭川駅を出て、何となく街を散策してみる。目的地はない。初めて行く場所は、とりあえず、意味もなく街を歩いてみるのが大切だと思っている。その土地の生活を見たいのだ。これは海外を1人で旅する時も同じだ。地元の商店街を歩いてみたが、余りにも寂れていて逆に辛くなってしまい、早々と退散した。街は少しずつだが、確実に死に向かっている。まるで俺の癌のようだ。

 

 

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買ったお土産を発送し

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回転寿司で磯の香りがする蟹味噌を食べて

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夕方の雪道を歩き

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忠別川を眺め

 

投宿し、大浴場に浸かり、牛乳を飲みながらスマホを見ていたところで事件が起きた。

スマホでJRの運行情報を確認したら、翌日に乗車予定の留萌本線が、明日の夕方まで運転見合わせとなっているのである(今日も運転見合わせ)。オワッタ。ドカ雪のせいだ。日本海側だから豪雪の影響を受けると思って警戒していたのだが、予想通りになった。しかし俺は動じない。

 

留萌のホテル代を損切り、投宿した旭川のホテルに頼み一泊追加した。問題なのは明後日で、明後日は特急を使い留萌から札幌経由で帯広に抜ける旅程を立てていたのだ。すでに特急券も手配して手元にある訳だが、これはみどりの窓口で払い戻した。札幌から西側は雪の影響をモロに受けているから、札幌経由はリスクがある気がした。積雪で運休したら終わる。。

 

現在の予定として、明後日は旭川駅から富良野を抜けて東鹿越まで行き、代行バスで(数年前の台風により東鹿越、新得間の線路は未だに不通)新得へ行き、そこから鉄道で帯広へ抜けるつもりだ。これは6時間の鬼ルートだがやむを得まい。もしこのルートが積雪で死んでも、旭川からなら高速バスで帯広に向かう保険がある。留萌にはそれがないのだ。多少お金を損しても、旭川から動くべきではない。

 

 

明後日の事は何も考えない。明日は明日の風が吹く。理想の旅人とは結局のところ、寅さんなのではないだろうか。

 

 

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汽車の行方は、志士に任せよ。「待つ」という言葉が、いきなり特筆大書で、額に光った。何を待つやら、私は知らぬ。けれども、これは尊い言葉だ。唖の鴎は、沖をさまよい、そう思いつつ、けれども無言で、さまよいつづける。

鴎 / 太宰治