北海道DAY⑦ ~釧路14:16発、帰宅0:45~
旅の最終日がきた。
釧路から千葉県某八千代市の自宅へと帰らなければならない。
釧路を午後2時すぎの列車で発ち、午後20時発のJALで女満別から羽田に帰る。本来は釧路空港を使いたかったのだが、JALマイルの空席が女満別空港しかなかった。
そもそもこの旅は当初から計画していたものではなかった。12月から抗がん剤治療が始まる予定だったのだが、11月下旬に主治医と話し合った結果、諸事情から年明け以降に抗がん剤治療を始めることになった。そこで急遽、年末年始の予定がなくなったので北海道旅行を計画したのが、年末の一か月前。既に多くの便が満席で、たまたま女満別の便に空席が沢山あった。要するに、今回の旅は様々な偶然が生み出した旅であった。不思議な旅の縁もある。
私の病気は類上皮肉腫という希少癌なのだが、適合する抗がん剤が日本国内にはない。肉腫についてはアドリアマイシン(ドキソルビシン)を基本的には投薬するようだが、過去に投薬したデータによればあまり治療効果が見られず、副作用に苦しむ結果に終わるパターンが多かったらしい。そこで抗がん剤の臨床試験に参加する方針を決め、私の病気に適合しそうな抗がん剤の臨床試験が発表されるまで当面は抗がん剤治療を保留することにした。
午前中は何もやることがなかったので、釧路駅前のタイムズのカーシェアで車を借り阿寒湖に行ってみたのだが、大して目ぼしいものもなく、引き返して釧路に帰ってきた。要するに、無駄足のドライブで終わった。
午後1時前に釧路駅に戻ってきて、列車が発車するまでの一時間、お土産屋さんを徘徊したり、待合室でのんびりしていた。千葉県までの長旅が始まるのだ。のんびりしていよう。
で、時間になってホームに行くと、隣のホームに数日前に新得駅で見かけた国鉄色キハが入線していた。
お久しぶりです。これでお会いするのは3回目ですね。不思議なご縁ですね。ストーカーの如く私の旅程通りに後ろをついてきましたね。
行先は網走。この旅のスタート地点へ戻るのだ。
3時間の列車旅。満席だった。網走駅から特急で札幌へ向かう組と女満別空港に向かう組、この2グループが主な客層であろう。
車窓に貼られたルパン三世のステッカーと共に、列車は釧路湿原を抜け、知床を抜け、オホーツク海へ向かっていく。
途中でタンチョウという鶴のような美しい鳥を見た。
どんな鳥か気になる方はGoogle先生に聞いてください。
釧路湿原の辺りでは積雪が少ないように感じられたものの、やはりオホーツク海が近づくにつれて雪の量がどんどん増えていく。
列車は網走駅に入線した。
旅の終わりを意味する。
そう。この改札口から今回の旅は始まったのだ。
思い出の網走駅。
網走から半時計周りで旭川、富良野、帯広、釧路を経由して周回してきたことになる。
一週間の旅。
一週間前と一週間後の網走駅。
何も変わらない網走駅だが、全く違う印象を受けていた。
今回の旅で一番記憶に鮮烈に残った駅。
駅前のホテルに泊まり、駅前のトレン太くんで車を借りた。
それだけの思い出だが、もう既に不思議な愛着がこの駅に沸いてしまっていた。
次に訪れるのはいつなのかわからない。
どうか廃線にならず、廃駅にならず、いつか再び訪れる日まで存続していて欲しい。
北海道は高齢化と比例して急速に衰退している。
今回訪れた場所が次回もそこに存在している確証なんて全くないのだ。
網走駅前に待っていれば空港バスが来るのだが、何となく街を歩きたくて網走バスターミナルまで歩いてみた。
さて、二日ほど前から新千歳空港が雪の影響で発着できずパニックになっていることは知っていた。私は油断していたのだ。
「新千歳は日本海が近いから雪の影響をモロに受けるが、女満別は道東。雪の影響はないだろう」と。
実際、空港の積雪も大したことはなかったし、風もなかった。
何も問題ないと思われたのだが。。。
「566便を見てみよう」
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
なんということでしょう。
遅延しているではありませんか。
使用機材が羽田空港を30分遅れで離陸した為に女満別の着陸が30分遅れる。私が乗る折り返し便も30分遅れる。なるほどね。理解しました。日本各地の遅延が連鎖的に広がり、あらゆる便に遅延が発生している訳だ。安倍政権が悪い。
別にね、30分くらいの遅れなんて気にしないんだよ。
何が問題かって、当初の予定では羽田着陸が22時だったんです。そのまま22時半の津田沼方面の終バスに乗って帰宅する予定だったんです。
コロナの影響で、津田沼方面は23時以降のバスが全部運休になっちゃってるんですよ。
つまり、離陸が30分遅れれば着陸も30分遅れる。するとどうでしょう。津田沼方面の終バスに間に合わないではありませんか。
いや、まだ保険はある。
22時53分発の京急エアポート快特。これに乗れれば、家まで帰れる。。
あら、なんということでしょう。
機内から私の住む八千代市が見えるではありませんか。
あれが国道16号ですか?
なんなら、職場が見えるではありませんか。
落下傘積んでませんか?
落下傘降下すれば帰宅できるのですが。
某ローカル線の五井駅やアクアライン、海ほたるを上空から眺めながら、羽田空港へ無事着陸。
この時、22時30分。
搭乗口を出たのが22時40分。
預け荷物を受け取ったのが22時50分。
君を忘れない。
いつか会えるといいね。
困った俺はGoogle先生に聞いてみた。
先生「リムジンバスで千住大橋駅に向かえ。そこから京成の終電に乗れば帰れるぞ」
その手があったか。
流石Google。
ということでバス乗り場に並んでいたところ、係の人に乗車券を持ってるか聞かれる。
「持ってません」
係員「予約で満席なので、キャンセル待ちということで列から離れていただけますか?」
は?舐めてんのかお前。
Googleさあ、期待させてこれはないやろ。
誰が悪いんだって?
誰も悪くないよ。
飛行機の遅延だって別に機長が悪い訳じゃないよ。
誰も悪くないんだ。
結局、23時17分のモノレールに乗り、東京駅から終電の総武快速で津田沼に行き、そこから久々に乗ったタクシーで0時45分に帰宅。
今は自動車学校の教官の仕事をしているのだが、過去にタクシー会社で3年間働いていたことがあるのでタクシーの運転手さんと話しが弾む。
無線の迎車がああでもねえこうでもねえ話しながら、旅を終えた。
なんだこの旅の終わり方。
北海道の美しい粉雪。氷点下の潮風。凍り付いた海。列車の窓から見える鹿の群れ。
死にかけている私に、大自然の生命力を感じさせてくれた。ありがとう。
まだ訪れていない町もある。稚内、札幌、函館、そして今回の旅で諦めた留萌。
生きていれば、また君と、いつか会うことになるだろう。
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「ね、なぜ旅に出るの?」
「苦しいからさ。」
「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちつとも信用できません。」
「正岡子規三十六、尾崎紅葉三十七、斎藤緑雨三十八、国木田独歩三十八、長塚節三十七、芥川龍之介三十六、嘉村礒多三十七。」
「それは、何の事なの?」
「あいつらの死んだとしさ。ばたばた死んでゐる。おれもそろそろ、そのとしだ。作家にとつて、これくらゐの年齢の時が、一ばん大事で、」
「さうして、苦しい時なの?」
「何を言つてやがる。ふざけちやいけない。お前にだつて、少しは、わかつてゐる筈たがね。もう、これ以上は言はん。言ふと、